大津市長退任後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 00:03 UTC 版)
市長退任後も多くの要職について地元の商工や観光を指導した。また、市(四)長から位が上がったとして「伍(五)長」とあだ名されるようになった。1965年8月から財団法人滋賀好善会会長、1966年6月から大津市観光連盟会長を務めた。1972年11月から1975年8月まで株式会社琵琶湖ホテル社長を務めた。1974年4月から大津市体育協会会長、6月から滋賀県商工会議所連合会会長と再び大津商工会議所会頭を務めた。1975年5月からは滋賀県観光連盟会長を務めた。 1975年8月に妻ハツを亡くした。 1981年4月20日、「市議、県議の豊富な経験を生かし行政の推進に献身され、退任後においても、商工、観光、福祉、体育面等の指導的要職につき、市政発展のために尽力された功績は誠に大である。」として大津市名誉市民に表彰された。同年4月25日、死去。72歳没。
※この「大津市長退任後」の解説は、「西田善一」の解説の一部です。
「大津市長退任後」を含む「西田善一」の記事については、「西田善一」の概要を参照ください。
- 大津市長退任後のページへのリンク