大治郎の門人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 08:29 UTC 版)
飯田粂太郎 田沼意次の家来。三冬の勧めで大治郎の門人となる。 父・飯田平助も意次に仕えていたが、かつて仕えていた一橋家による意次の毒殺計画に加担したことが、毒薬と報酬の小判を入れた財布を掏られたのを三冬に目撃されたのを切っ掛けに明らかとなり、一度は口封じに殺されそうになったのを小兵衛に助けられて家族の元へ送り届けられるが、良心の呵責を感じて首を吊って自殺を遂げる。意次はその事件の一部始終を知ってはいたが、平助をこれまで通りに用いようとしただけでなく、平助や残された家族を責めることはせず、平助の死後は彼の禄をそのまま粂太郎が継げるようにした。なお、粂太郎は父の死の真相を知らない。 剣の筋に関しては大治郎と小兵衛に「よい」と評されており、素質を認められているが、ドラマ(藤田まこと)版では、稽古中に小兵衛に隙を突かれて打ち負かされるなど、さほどでもないような描写をされている。 ドラマに於いては、加藤剛・山形勲版では上記の設定がそのまま生きていたが、藤田まこと版では第4シリーズから特に説明もなく大治郎の弟子という形でキャストに加わっている。また、同版第1シリーズで描かれた平助の死は、一橋家の刺客が意次に成りすました小兵衛を襲撃した際に、良心の呵責から彼らを裏切って警告を発し、結果裏切り者として容赦なく斬り殺されたものになっている。またこのエピソードでは粂太郎を含む家族は登場せず、妻子と年老いた母を信州に残しているという設定。一方北大路欣也版では平助と粂太郎は原作通りに描かれているが、原作で特に理由が説明されずに行われた平助の口封じについて、意次暗殺の首謀者である一橋治済が意次の動きから平助がヘマをしたせいで事が発覚したと思い立ち、口封じを決意するシーンが追加されている。また、意次は平助の自殺後に治済と対面した折、「かつて平助が仕えていた一橋家に、平助の死を伝えるのは正当なる武士の礼儀」という理由をつけて、平助を死に追いやった治済に静かに怒りを表した。 笹野新五郎 秋山大治郎の門人。表向きは六百石の旗本・笹野忠左衛門の長男だが、実は生島次郎太夫の息子。本人はその事実を知らないが、父と後添いの義母の間に弟が生まれてから自分が父・忠左衛門や亡くなった母の実の子ではないと気付き、師であった朝倉平大夫も殺されて荒れていた頃に世話になった女中・おたかの仇を討たんと大治郎の道場に入門したが、剣術の奥深さを知り復讐心から解き放たれる。だが、この弟子入りで亡師を殺害した犯人に目を付けられて命を狙われると言う顛末があった(新五郎自身、師の仇を討つと明言してはいた)。思わぬ事から師の仇を果たした新五郎は実家を出て小川宗哲宅に下宿を始める。 亡師より一刀流を学んでおり、大治郎をして「相当に使える」「よい師匠についていたのだろう、悪い癖が身についていない」と評され、小兵衛にも「先ずものになろう」と太鼓判を押される腕前。 杉本又太郎 無外流の剣客・杉本又左衛門の息子。小兵衛の友人だった父の亡き後に道場を継ぐが、父親をして「下手の横好き」と評される実力のために門人は四散。匿った女性に恩を受けた狐に取り憑かれ期限付きで圧倒的な強さを得て道場は再興するが、狐が協力する3年のうちに本当の力を身につけようと大治郎に師事する。 「春の嵐」ではひょんな事から菓子舗不二屋の息子・芳次郎を門弟にする。 永井源太郎 幕府御目付衆・永井十太夫の息子だったが父・十太夫が小兵衛によって悪事を暴かれたことで切腹・取り潰されたことで没落、幼少期から学んでいた弓術を活かして商家の用心棒をしていたが、商家を狙う盗賊が差し向けた刺客に襲われた際に小兵衛に助けられる。20代の若輩だが人柄は出来ており、父の敵と言える秋山父子を恨むことなく大治郎の門人となる。
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