大河津橋架替
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/11 07:48 UTC 版)
起点 - 新潟県三島郡寺泊町敦ケ曽根 終点 - 新潟県西蒲原郡分水町五千石 路線延長 - 2.8 km 規格 - 第3種第2級 車線数 - 暫定2車線(完成4車線) 幅員 - 28.0 m(完成時一般部)・22.0 m(完成時橋梁部) 左岸道路1300 m、新橋635 m、右岸道路865 mからなり、左岸部は長岡国道工事事務所が、新橋と右岸部は新潟国道工事事務所が担当した。1975年度(昭和50年度)に事業化され、1976年度(昭和51年度)に用地着手、1979年度(昭和54年度)に工事着手した。1982年度(昭和57年度)に新橋を含む1.1 kmを暫定2車線で供用開始し、1984年度(昭和59年度)に0.9 kmを暫定2車線で供用開始した。分水側は交差点が連担するため分水高架橋により立体交差とした。 下部工が1979年(昭和54年)9月28日から1980年(昭和55年)8月2日までの工期でA2橋台とP6 - 8橋脚が熊谷組により施工され、1979年(昭和54年)9月28日から1981年(昭和56年)3月24日までの工期でA1橋台とP1 - 5橋脚が大豊建設により施工された。上部工は1連が1980年(昭和55年)11月15日から1981年(昭和55年)11月30日までの工期で川崎重工業・日本橋梁JVにより制作され、2連が1980年(昭和55年)12月17日から1982年(昭和57年)3月30日までの工期で石川島播磨重工業・松尾橋梁JVと駒井鐵工所住友重機械工業JVによりそれぞれ制作され、1981年(昭和56年)9月1日から1982年(昭和57年)6月25日までの工期で石川島播磨重工業・松尾橋梁JVにより主桁架設が行われた。床版工は小松建設工業により1981年(昭和56年)11月21日から1982年(昭和57年)9月30日までの工期で行われた。旧橋撤去は1983年(昭和58年)10月1日着手し、1984年(昭和59年)3月19日に上部工撤去が完了し、下部工撤去は1986年(昭和61年)9月27日から1987年(昭和62年)3月20日までの工期で行われた。
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