大正の即位の礼とは? わかりやすく解説

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大正の即位の礼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 03:36 UTC 版)

即位の礼」の記事における「大正の即位の礼」の解説

旧皇室典範登極令制定後初めての挙行となった第123代・大正天皇即位の礼は、1915年大正4年11月10日京都御所紫宸殿行われた。本来は1914年大正3年)に挙行され予定だったが、同年4月昭憲皇太后崩御により1年延期された。明治天皇即位時には新調できなかった高御座等が新調された。また、この時から高御座の隣に皇后御座である御帳台(これは江戸時代以前帳台異なり高御座準拠して考案され新儀である)が設けられたが、貞明皇后懐妊であった(後に第四男子澄宮崇仁親王出産)ために欠席した。 この時に帝国議会上院貴族院書記官長務めていた柳田國男大正天皇御大礼出仕しており、後に大嘗祭についての提言残している。礼服復活せず、束帯使用されたものの、高御座江戸期様式復活し、その他、旗の類も神話にちなむ刺繍入れたものの、はやめて綾や錦を使うなど、総じて江戸時代以前様式明治即位折衷したような形式になっている明治よりも神事性が後退したかわりに賢所大前の儀新たに制定され即位前提神道があることを強調する儀式構成になった男性束帯近世故実参照してあまり変更加えず女性十二単近世以前資料によりつつも、松本真弦らが中心となって新たに定められた。饗宴の儀では、1915年大正4年11月16日·11月17日各国の王族や要人などを招き二条離宮盛大に行われた大正大礼総予算8538357円(当時金額即位の礼 1915年大正4年11月10日 即位礼勅語祖宗遺烈ヲ承ケ惟神寶祚ヲ踐ミ爰ニ即位ノ禮ヲ行ヒ普ク爾臣民ニ誥ク朕惟フニ皇祖皇宗國ヲ肇メ基ヲ建テ列聖統ヲ紹キ裕ヲ埀レ天壤無窮神勅ニ依リテ萬世一系帝位ヲ傳ヘ神器ヲ奉シテ八洲ニ臨ミ皇化ヲ宣ヘテ蒼生ヲ撫ス爾臣民世世相繼キ忠實公ニ奉ス義ハ則チ君臣ニシテ情ハ猶ホ父子ノコトク以テ萬邦無比國體を成セリ皇考維新盛運ヲ啓キ開國宏謨ヲ定メ祖訓ヲ紹述シテ不磨ノ大典ヲ布キ皇圖恢弘シテ曠古偉業聖徳四表光被シ仁擇□陬に霑洽ス朕今丕績ヲ續キ遺範ニ遵ヒ内ハ邦基ヲ固クシテ永ク磐石ノ安キヲ圖リ外ハ國交ヲ敦クシテ共ニ和平ノ慶ニ頼ラムトス朕カ祖宗ニ負フ所メテ重シ祖宗神靈照鑑上ニ在リ朕夙夜競業天職ヲ全クセムコトヲ期ス朕ハ爾臣民忠誠其ノ分ヲ守リ勵精其ノ業ニ從ヒ以テ皇運扶翼スルコトヲ知ル庶幾クハ心ヲ同シクシ力ヲ戮セ倍々國光顯揚セムコトヲ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ

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