大正インディペンデントを支援
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 06:07 UTC 版)
「日本館」の記事における「大正インディペンデントを支援」の解説
1920年(大正9年)8月14日、「日本館」は映画専門館となった。当初は帝国キネマ演芸のフラッグシップ館であった。1923年(大正12年)9月1日の関東大震災で浅草は壊滅、同館も打撃を受けた。やがて復興し、1925年(大正14年)ころからは、小説家の直木三十五が奈良に設立した独立プロダクションの聯合映画芸術家協会作品や、志波西果の日本映画プロダクション作品、月形陽候のツキガタプロダクション作品、古海卓二の古海卓二プロダクション作品、阪東妻三郎・立花良介・カール・レムリの阪妻・立花・ユニヴァーサル連合映画作品、片岡松燕の片岡松燕プロダクション作品、河合映画が配給した市川右太衛門プロダクション作品、ユニヴァーサル映画が配給した高木新平の高木新平プロダクション作品、トーキー先駆のミナトーキー作品等のインディペンデント映画を、1927年(昭和2年)ころまで、各作品のフラッグシップとしてつぎつぎと封切り上映した。 1928年(昭和3年)には、大倉土木(現在の大成建設)の建築・施工で改築、このときの建物は、1980年代末に解体されるまで使用された。 1929年(昭和4年)には、片岡千恵蔵の片岡千恵蔵プロダクションや日活の太秦作品をフラッグシップとして封切り上映、翌1930年(昭和5年)からはまたインディペンデント映画を上映した。
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