地域的保障
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 00:51 UTC 版)
第二に、地域的保障は、欧州人権条約(正式名称、人権と基本的自由の保護のための条約)が非常に発達しており、次いで米州人権条約、次に人及び人民の権利に関するアフリカ憲章(アフリカ人権憲章)が発達している。各制度は、独自の人権裁判所を有しており、法的強制力のある判決を下して、その実効性を担保している点で、先の普遍的保障の制度と大きく異なる。なお、アジアにおいて、地域的人権条約を創設しようとする努力もなされたことがあるが、いまだ実現していない。 欧州人権条約は、欧州評議会の下、基本的自由が世界における正義と平和の礎であるとして(前文)、1950年に創設された。加盟国は、広く、欧州連合諸国のみならず、ロシア、トルコまで含む。国家に加えて、個人や非政府団体も、ここに締約国の条約違反を直接訴えることができる(第34条)欧州人権裁判所を有し、現在、大変活発に活動している。同裁判所の判決は強制力を有し(第46条)、個人の人権に関しても加盟国を直接、法的に拘束する(2004年6月22日「ブロニウスキ対ポーランド事件」欧州人権裁判所大法廷判決)。 米州人権条約は、米州機構により1969年に欧州人権条約にほぼ倣ってつくられた制度であり、同様に米州人権裁判所を有する。同裁判所も活発に活動しており、国際法の観点からは、例えば、1999年に国際司法裁判所で争われた「ラグラン事件」(メキシコ対米国)に関連して、独自に勧告的意見を出したことや(1999年10月1日「公正な裁判の枠組みにおける領事扶助の通達の権利」米州人権裁判所勧告的意見、Serie A, No.16, para.106)、「バリオス・アルトス事件」に関して、ペルー政府に対して恩赦法の取り消しと捜査再開、被害者と遺族に対する補償を命じた判決(2001年3月14日「バリオス・アルトス対ペルー事件(本案)」判決、Serie C, No.75、2001年9月3日「同事件(解釈)」判決、Serie C, No.83、2001年11月30日「同事件(賠償及び費用)」判決、Serie C, No.87)などが、注目されている。 1981年にアフリカ統一機構によって成立したアフリカ人権憲章は、人権の保護を目指すと同時に、植民地支配の撤廃(前文)、人民の平等(19条)や発展の権利(22条)も目的としている。同条約が設置していたアフリカ人権委員会は、その後、2006年に設立されたアフリカ人権裁判所(英語版)(人及び人民の権利のアフリカ裁判所)を有して、他の地域的制度と同様に司法機関を持つようになった。しかし、条約の実効性については、未だ発展段階にあるといえる。2008年7月1日に、アフリカ司法人権裁判所規程に関する議定書 (Protocol on the Statute of the African Court of Justice and Human Rights) が成立し、アフリカ人権裁判所とアフリカ連合司法裁判所の二つが統一されることになっている(2020年6月18日現在、55ヶ国中、署名33ヶ国、批准8ヶ国。15ヶ国の批准で発効)。この新しい裁判所は、条約、慣習法、アフリカ諸国に共通の一般原則を適用するとされ、勧告的意見も発することができることになっている。
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