国際的事業展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 03:26 UTC 版)
「ヘンリー・フォード」の記事における「国際的事業展開」の解説
フォードの経営哲学は、アメリカ合衆国の経済的自立を目指したものだった。フォード・モーターのリバールージュ工場は、鉄鋼から生産する垂直統合を実現した世界最大の工場となった。フォードは海外との貿易に依存することなく一から自動車を生産することだった。彼は国際貿易と国際協力が世界平和をもたらすと信じ、そのモデルとしてT型フォードの生産ラインを作り上げた。 1911年、イギリスとカナダに組み立て工場を建設し、間もなく両国でも最大の自動車メーカーとなった。1912年、ジョヴァンニ・アニェッリのフィアットと共同でイタリアに組立工場を建設。1920年代にはハーバート・フーヴァーの勧めもあってドイツにも進出した。1920年代にはオーストラリア、インド、フランスにも工場を建設し、1929年には世界中に販売店網ができている。 また、1920年代にフォードは、ブラジルのパラ州にて、フォードランディア(Fordlandia)と呼ばれるゴム・プランテーションを展開すべく、広大な土地を買い付けた。これは、フォード社の車にゴムタイヤを安定供給するために、ゴム園のほか、その工場や、労働者・家族のためのアメリカ風の街を、アマゾンの奥地に設けたものであった。しかし、現地従業員にアメリカ風の食事が受け入れられず暴動が発生したり、素人による植生を全く無視したゴムの植付けなどにより南米葉枯病というゴムの木を枯らす重大な病気が蔓延して失敗し、パラ州内でプランテーションを移転させるも、移転先でも同じ病気のために失敗した。結局1945年に、フォード社はブラジルでの土地をブラジル政府に売却し、ゴム栽培から撤退した。ブラジルでは、この病気のために現在もゴムの供給を天然のパラゴムノキに依存している。 さらに1929年には、ヨシフ・スターリンから、ゴーリキー(現在のニジニ・ノヴゴロド)に工場を建設しないかと持ちかけられた。アメリカから技術者らを派遣して立ち上げを支援し、その中には後の組合のリーダーウォルター・ルーサー(英語版)もいた。 フォード・モーターはアメリカが外交関係を持つどんな国でも事業を行う方針だった。自動車販売(と時には現地での組み立て)を行う支社を各国に創設している。 オーストラリア・フォード イギリス・フォード アルゼンチン・フォード ブラジル・フォード カナダ・フォード ヨーロッパ・フォード インド・フォード 南アフリカ・フォード メキシコ・フォード フィリピン・フォード 1932年、フォード・モーターは全世界の自動車生産の3分の1を占めていた。ヨーロッパ、特にドイツでは「ある者は恐れ、ある者は心酔し、全ての人々を魅惑する」と評された。ドイツではフォーディズムがアメリカの基本的理念を代表しているように受け取られた。フォードが示した生産規模・生産速度・標準・哲学はドイツ人にとってアメリカ文化の代表例だった。フォーディズムは信奉者からも批判者からもアメリカ資本主義発展の典型とされ、自動車産業がアメリカの経済や社会を理解する鍵とされた。あるドイツ人は「自動車はアメリカ人の生活を根底から変えており、今では自動車のない生活は想像できない。フォード氏が救世主義を説きはじめる以前、どんな生活だったのかを思い出すことさえ難しい」と記している。多くのドイツ人にとってフォードは成功したアメリカ主義の本質を具現した者だった。 My Life and Work でフォードは、貪欲さや人種差別や近視眼的行為が排除されれば、経済と技術の発展によって植民地主義や新植民地主義に基づく貿易がなくなる日が訪れ、全人類が真の恩恵を受けるようになると予測している。この考え方は漠然としているが、理想主義的である。
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