国際的人気歌手へ
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「トシェ・プロエスキ」の記事における「国際的人気歌手へ」の解説
2004年、人道チャリティ・コンサートなどの活動が評価され、トシェはマケドニア・ユニセフ大使に任命された。トシェは「This World」をレコーディングした。トシェはDallas Recordsと契約し、次のアルバムをクロアチアおよびスロヴェニアでもリリースできるようにした。これらの国々向けのプロモーションとして、スロヴェニアの歌手、アーニャ・ルペル(Anja Rupel)とのデュエット曲『Krajnje Vreme』をレコーディングした。2005年、トシェの5枚目のアルバム『Po Tebe』(あなたの後)を旧ユーゴスラヴィア全域でリリースすることができた。『Po Tebe』はバルカン半島一帯で商業的大成功を収めた。アルバムはマケドニア、セルビア、クロアチア、スロヴェニア、ボスニア・ヘルツェゴビナの各国のチャートのトップにランクインした。 2006年のアルバム『Božilak』(虹)はマケドニアの伝統音楽から14曲を選び、シンフォニー・オーケストラをバックに歌ったものである。2007年8月にリリースされた最後のアルバム『Igri bez granici』(国境なきゲーム、クロアチア語のタイトルはIgra bez granica)は旧ユーゴスラヴィア全域でリリースされた。 2007年10月15日、最後となったインタビューの中で、マケドニア音楽アカデミーの卒業と精神的パートナーの探求、そして新アルバムの製作について語った。最後のコンサートは10月5日に行われ、2万人以上の観衆を集めた。収益から1万ユーロがマケドニアの小学校に寄付された。 マケドニア語、セルビア・クロアチア語以外では、トシェはスロヴェニア語で歌った2007年の「Moja」(僕のもの)、イタリアの歌手ジャンナ・ナンニーニと共演してイタリア語で歌った「Aria」(空気)がある。トシェと共演した主なアーティストにはアーニャ・ルペル(Anja Rupel)、アントニヤ・ショラ、ボラ・チョルバ(Bora Čorba)、カロリーナ・ゴチェヴァ、エスマ・レジェポヴァ(Esma Redžepova)、ジャンナ・ナンニーニ、ゴツァ・トゥルジャン(Goca Tržan)、グリゴル・コプロフ、ジェフ・ベック、トニ・ツェティンスキ(Tony Cetinski)、ジェリコ・ヨクシモヴィッチなどがあげられる。
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国際的人気歌手へ
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「カロリーナ・ゴチェヴァ」の記事における「国際的人気歌手へ」の解説
2003年にはアルバム『Znaeš kolku vredam』(私が素晴らしいって知ってるでしょ)をリリース。その間も多くのフェスティバルやコンサートに出演し続け、オフリドでのコンサートではヴラド・ヤネフスキ(Vlado Janevski)をスペシャルゲストとして招いた。この頃から、旧ユーゴスラヴィア諸国やブルガリアへも彼女の人気は浸透し、『Znaeš kolku vredam』の収録曲を全てセルビア語で歌ったアルバム『Kad zvezde nam se sklope...kao nekada』(また星が並ぶとき)をリリースした。 2005年にモンテネグロのヘルツェグ・ノヴィ(Herceg Novi)で行われたスンチャネ・スカレ(Sunčane Skale)フェスティバルで「Ruža Ružica」(赤い花)を歌い、4位入賞した。同じく2005年にはアルバム『Vo zaborav』(忘却の彼方)をリリース。このとき、プロモーション・ビデオ撮影のため、チェコのプラハを訪問していたが、現地の制作会社とトラブルになり、2曲分のプロモーション撮影の予定を1本で切り上げて帰国、この会社から100,000ユーロの訴訟を起こされるというスキャンダルに見舞われる。このアルバム「Vo zaborav」でも、セルビア語版のアルバム『U Zaboravu』を製作し、リリースした。さらに、西部方言のクロアチア語で数曲歌った特別バージョンもリリースされた。
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