国家学と新カント学派
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 06:20 UTC 版)
国家学は、主権概念と結びついた近世自然法思想の影響のもとに、国家有機体説とドイツ観念論の国家主義的な傾向を受けて成立した。また国家学においてはヘーゲルに基づいて社会の道徳的価値は国家に優越性が認められていた。19世紀末ドイツでは、新カント学派が登場し流行した。新カント学派は自然を対象とする自然科学と人間を対象とする人文諸科学はその方法論においても区別されるべきと述べていた。この考え方によれば、人文諸科学は対象領域において重複しているが、それぞれ独自の方法論を持っているために、それぞれの学問分野が個別に成立しうるものであるとされた。この考えは、のちに国家学から政治学を独立させる根拠となるものでもあるが、この時代の実際の研究者の間では政治学を国家学の一分野とする見方が一般的であった。 国家学はジャン・ボダンの主権論やアルトジウスの自然法理論を先駆とし、ヴォルフによって基礎が整えられた。続くブルンチュリは『一般国法学および政治学の歴史』を著し、国家学を体系づけるとともに、学説史と結びつけた。19世紀ドイツを代表する国家学者であるイェリネックは、国家学は政治制度を研究する「国家社会学」と憲法・行政法・国際法などを研究する「国法学」に分け、政治学は国家の目的についての規範的研究と位置づけていた。彼は新カント学派に影響されて、国家を法的組織(形式)と社会形象(当為)の二面性を持つものとして把握すべきであると唱え、国家の形態は多様であり、類型的に把握すべきだと論じた。これに対しケルゼンは、当為と形式は関連性がない別個の領域で、国家は法秩序として一元的に捉えるべきであるといい、形式を重視した純粋法学を提唱した。彼はまた価値絶対主義が政治的絶対主義を生み、価値相対主義は政治的相対主義=寛容を生むといい、民主主義は価値相対主義に基づくと主張した。ケルゼンは、道徳と法はその存在領域が異なるためにその対立は存在せず、政治的な義務としての法規範が、倫理的な義務としての道徳規範と対立することはないと述べた。シュミットは、政治の本質は決断であると述べ、国家における決断の主体として主権を定義し、主権国家を擁護した。現実的には優柔不断な政権よりはナチスの独裁の方がよいとして、ナチスとその拡大政策の支持につながった。彼は『ヴァイマル・ジュネーヴ・ヴェルサイユとの対決』を著し、ヴァイマル体制を批判していたので、それもナチスの目的と合致するものであった。ヘラーは国家学を政治学の一分野とし、従来国家学に政治学が含まれてきたことを批判した。また、「ヴァイマル体制は敗戦の結果強要された政治体制で、ドイツの国民性に適合していない」とする見方があったのに対して、ヴァイマル体制はドイツの近代政治思想の正統を継承するものであると擁護した。しかし、新たに台頭したナチスはヴァイマル体制の打破を目的としていたので、ヴァイマル体制を擁護したヘラーは亡命を余儀なくされた。
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