周辺諸国攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 04:41 UTC 版)
一方、フセイン大統領は「アラブ(イスラーム)対イスラエルとその支持者(ユダヤ教・キリスト教などの異教徒)」の構図を築こうと考え、1月18日からイスラエルへ向けスカッドミサイル「アル・フセイン」と「アル・ファジャラ」計43基を発射、イスラエル最大の都市テルアビブなどに着弾し、死傷者が出た。 イスラエルは開戦直前にモサッドなどによりフセイン大統領が攻撃準備をしていることを知り、1月16日に全土へ非常事態宣言を出していたが、42日間に18回39発のミサイル攻撃を受け、うち10回の攻撃で226名が負傷し、2名がミサイルの直撃で、5名がミサイル警報のショックで、7名が対化学攻撃用ガスマスク(イラン・イラク戦争時に配布したもの)の取り扱いミスで死亡した。 イスラエル世論はイラクへの怒りで沸騰したが、イラクからの挑発を受けてイスラエルが参戦することで、「異教徒間戦争」となるというフセインの目論見通りになることを恐れたアメリカや国連の要請によってイスラエル政府は動かず、フセイン大統領のもくろみは失敗した。続いてイラクはサウジアラビアとバーレーンに対して同数程度のミサイルで攻撃を行った。これは、「異教徒に加担した裏切り者を制裁することで、アラブ世界の結束を図ろう」という試みであったが、「不法な侵略者イラク対国際社会」の構図は揺らがなかった。 アメリカは急遽イスラエルや湾岸諸国にパトリオット地対空ミサイルシステムを配備して迎撃し、当時はほとんど打ち落としたと主張していた。しかし、本来これは対航空機用の兵器である。後の研究報告により、それほど役立っていなかったことが判明した(これを受けて、アメリカとイスラエルはミサイル迎撃システムの開発を進めることになり、ミサイル対応のパトリオットミサイル PAC-3を開発した)。 詳細は「ブラヴォー・ツー・ゼロ(英語版)」を参照 またスカッドを捕捉、破壊するためイギリス特殊空挺部隊(SAS)偵察チームがイラク後方に潜入したが、偵察チームの多くはイラク軍に捕捉され、死傷者が出た。特にアンディ・マクナブ軍曹の指揮する偵察チーム、コールサイン「ブラヴォー・ツー・ゼロ」は8名中3名が死亡、マクナブを含めて4名が捕虜となり、ただ1人クリス・ライアン伍長だけがシリアへの脱出に成功した。 1月29日、イラク軍はサウジアラビア領のペルシャ湾上にあるカフジ油田を奇襲攻撃。しかし戦略も何もなく、また多国籍軍の抵抗にあって失敗し、翌30日に撤退した。
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