周辺諸国との抗争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/03/25 23:55 UTC 版)
次王アナヴォータ・レッディ(在位1335 - 1364)の治世、南インドでホイサラ朝とマドゥライ・スルタン朝の抗争が起こると、今度はバッラーラ3世の支援にも回った(しかし、1342年にバッラーラ3世は戦死してしまった)。 また、1336年にヴィジャヤナガル王国が起こると、レッディ王国も同様にこれと争っており、その治世にはこれにも対応した。 とはいえ、レッディ王国は当時衰退していたオリッサの東ガンガ朝の領土に侵攻し、各地を略奪している。 アナヴォータ・レッディは商人からは合理的な徴税を行い、ヒンドゥー教のダルマを守り、王国を繁栄に導いた君主として知られる。 アナヴォータ・レッディの治世末期、ヴィジャヤナガル王国との抗争が激しくなり、そうしたなか1364年に彼は死亡した。 後を継いだ弟のアナヴェーマ・レッディ在位(1364 - 1386)は周囲の領域を占領し、東ガンガ朝への遠征も行い、ヴィジャヤナガル王国とも激しく争った。 その治世、レッディ王国の領土は最大となり、北はラージャムンドリー、南は カーンチープラム、西はシュリーサイラムなどの都市を獲得している。 また、アナヴェーマ・レッディも父や兄と同様にヒンドゥー教の保護者で、ラージャムンドリを征服した際、ムスリムのモスクを破壊し、ヒンドゥー寺院を再建したことで知られる。
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