台湾総督府鉄道・台湾鉄路管理局
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「国鉄D51形蒸気機関車」の記事における「台湾総督府鉄道・台湾鉄路管理局」の解説
当時、日本の統治下にあった台湾の総督府鉄道向けに1939年から1944年にかけ32両 (D51 1 - 32) が製造されたもので、形態的には1 - 27が標準形に、28 - 32が戦時形に属する。このグループは、日本国有鉄道籍を有したことはない。製造の状況は次のとおりである。 1939年度(3両)川崎車輛:D51 4 - 6(製造番号2218 - 2220) 1940年度(3両)汽車製造:D51 1 - 3(製造番号1888 - 1890) 1941年(12両)川崎車輛:D51 7 - 18(製造番号2416・2463 - 2470・2591 - 2593) 1942年(6両)汽車製造:D51 19 - 24(製造番号2231 - 2233・2262 - 2264) 1943年(3両)日立製作所:D51 25 - 27(製造番号1737 - 1739) 1944年(5両、戦時形)日立製作所:D51 28 - 32(製造番号1674 - 1678) このうち、戦時形のD51 28 - 32は制海権喪失で発送できず、一時的な措置として国有鉄道が借り入れ、D51 1162 - 1166として使用された。この時期、本土では既に戦時形(1000番台)が製造されていたが、この5両は戦前の標準形と似る形態(ドームはかまぼこ形でなく、標準形と同じ形状)で製造された。これは、外地向けゆえ、大日本帝国の威信を保つためといわれている。しかし、見た目こそ標準形だったが、ドーム以外の実態、炭水車などは内地向けに製造されたものと同じ戦時形で、性能、機能面で劣るため、使用晩期はボイラ圧力が12kg/cm2に制限されていた。この5両は、戦後の1946年4月になって台湾に発送された。台湾のD51形は、戦後台湾鉄路管理局に引き継がれ、DT650形 (DT651 - 682) と改称された。 戦後の1951年、国際連合の援助による中華民国の注文で、5両の標準形(カウキャッチャー付き、炭水車はやや大型化)が台湾に輸出され、DT683 - 687とされた。製造は汽車製造が3両(DT683 - 685・製造番号2608 - 2610)、新三菱重工が2両(DT686・687・製造番号718・719)だった。この5両が、D51形として最後の新製機となった。 「zh:台鐵DT650型蒸汽機車」も参照
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