台湾総督府鉄道・台湾鉄路管理局とは? わかりやすく解説

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台湾総督府鉄道・台湾鉄路管理局

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 04:14 UTC 版)

国鉄D51形蒸気機関車」の記事における「台湾総督府鉄道・台湾鉄路管理局」の解説

当時日本の統治にあった台湾総督府鉄道向けに1939年から1944年にかけ32両 (D51 1 - 32) が製造されたもので、形態的には1 - 27標準形に、28 - 32戦時形属する。このグループは、日本国有鉄道籍を有したことはない。製造の状況次のとおりである。 1939年度(3両)川崎車輛D51 4 - 6製造番号2218 - 2220) 1940年度(3両)汽車製造D51 1 - 3製造番号1888 - 18901941年12両)川崎車輛D51 7 - 18製造番号2416・2463 - 2470・2591 - 2593) 1942年(6両)汽車製造D51 19 - 24製造番号2231 - 2233・2262 - 2264) 1943年(3両)日立製作所D51 25 - 27製造番号1737 - 1739) 1944年(5両、戦時形日立製作所D51 28 - 32製造番号1674 - 1678) このうち戦時形D51 28 - 32制海権喪失発送できず、一時的な措置として国有鉄道借り入れD51 1162 - 1166として使用された。この時期本土では既に戦時形1000番台)が製造されていたが、この5両は戦前標準形と似る形態ドームかまぼこ形でなく、標準形と同じ形状)で製造された。これは、外地向けゆえ、大日本帝国威信を保つためといわれている。しかし、見た目こそ標準形だったが、ドーム以外の実態炭水車などは内地向けに製造されたものと同じ戦時形で、性能機能面で劣るため、使用晩期ボイラ圧力が12kg/cm2に制限されていた。この5両は、戦後1946年4月になって台湾発送された。台湾D51形は、戦後台湾鉄路管理局引き継がれ、DT650形 (DT651 - 682) と改称された。 戦後1951年国際連合援助による中華民国注文で、5両の標準形カウキャッチャー付き炭水車はやや大型化)が台湾輸出され、DT683 - 687とされた。製造汽車製造が3両(DT683 - 685製造番号2608 - 2610)、新三菱重工が2両(DT686・687製造番号718719)だった。この5両が、D51形として最後新製となった。 「zh:台鐵DT650型蒸汽機車」も参照

※この「台湾総督府鉄道・台湾鉄路管理局」の解説は、「国鉄D51形蒸気機関車」の解説の一部です。
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