古畑氏とは? わかりやすく解説

古畑氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/15 19:53 UTC 版)

小諸藩牧野氏の家臣団」の記事における「古畑氏」の解説

家内騒動縁組などにより格式アップダウン繰り返すも、6代目当主おこした破廉恥事件重臣家柄から外れ与板入封直後大目付中間支配その後番頭栄転家禄120石)。家禄100石で家督相続認められ連綿したが、元禄7年鉄砲足軽組頭となり、元禄14年江戸留守居役となる。小諸入封後の享保8年用人加判抜擢された。しかし天明年間家内騒動となり、出奔者を出して、藩内・家中騒がせて失脚家内取締により減石格式降格となる(持高130石から110石に減)。出奔者が次男であっても跡取りとなる男子であった推察され、女子出奔事件よりはるかに責任が重かったようである。その後藩主康満の女子が、他家嫁ぎ離婚して出戻ということがあった。その出戻った女子)と同居して内縁の夫となった古畑氏5代目当主古畑右衛門直興・得法院)が出て有力となった時に番頭であったが、用人連綿家柄となり小諸惣士草高成立時までに持高147となった用人加判職となる前に用人格の家柄となったとみられる藩主康満の女子)とは、寛政3年から寛政7年までの4年間で破綻した一方は、離別後しばらく小諸城中で暮らしたが、家臣取扱いとなり出家した他方の古畑氏は享和元年過去にした多額借財祟り破産状態となった推察される一次史料現存。この一件謹慎となるが格式降格免れた6代目古畑忠兵衛直興が天保15年6月21日家督相続。後に政右衛門改称5代目6代目は、同時ではないが同姓同名名乗ったこともあった。5代目得法と書かれていることがある。 9代藩主による改革後から、6代目古畑氏が懲戒処分を受け格下げになるまでの期間の持高130石(用人格)。 6代目古畑氏は、弘化2年押合奏者、同4年番頭となった嘉永4年3月6日当主不行跡非行により捕縛(ほぼ現行犯身柄拘束)される。同年4月16日役職罷免閉門謹慎持高減石格式降格命じられる。この事件迷惑行為など)を詳述した多数一次史料現存小諸家臣山村氏の母が古畑氏の行為目撃して騒いだのが捕縛つながった武士として恥を知らない軽率かつ非常識愚かな行動をしたので、一次史料中には自刃期待(あるいは促す)とも解釈可能な文言もあるほどであった嘉永5年1月13日出仕許され給人席兼小姓役職就任小諸騒動では、7代目古畑志津満直養が加藤牧野馬派属して謹慎閉門となるも、小諸家臣4名斬首直接、赴かなかったためか入牢とはならなかった。明治3年6月19日赦免維新期に士分上禄列した

※この「古畑氏」の解説は、「小諸藩牧野氏の家臣団」の解説の一部です。
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