反乱期
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「親衛隊 (アイドル)」の記事における「反乱期」の解説
組織が大規模化するにつれ、派閥が発生してきた。 所属事務所系列、幹部達の人間関係など、関東連合内での派閥は大きく分けて4グループ程存在していた。さらに1985年頃、関東連合内に、初代南野陽子隊創立者・江尻昭彦を中心としたグループが生まれる。彼らは“関東江尻一家”を名乗り、良い意味でも悪い意味でも浮いた存在であった。1987年夏、関東連合の活動方針に反発した江尻は、この当時関東連合内で約半数の勢力を維持していた南野陽子隊を軸に、江尻に賛同した十数隊を引き連れ、関東連合脱退を計画、連合幹部と江尻一家幹部との間に何度も話し合いの場が持たれたが全て決裂、新組織『全日本親衛隊同盟』通称“同盟”を旗揚げすることとなる。同盟結成式は都内のホテルで行われ、江尻一家の幹部連や関係者、約100人が出席した。また同じ頃、九州でも連合が2つに割れ、『九州双誠会』通称“反連”が誕生している。更に関東連合はかつての実力者達が次々と現場に復帰、体制を整えることになり、柳も再び相談役という立場で連合に接触するようになる。翌1988年、連合側は引き締めを図るために『全国親衛隊連合』と改称、同盟を除く親衛隊を全国一本化する。この頃にはマスコミからの取材依頼も多く、同盟に関してはテレビの密着ドキュメント番組や週刊誌等の取材に多数応じている。 1988年から1992年頃までの所属隊は次の通り。 全国親衛隊連合 酒井法子・西村知美・伊藤美紀・仁藤優子・坂上香織・相川恵里・島田奈美・北岡夢子・藤谷美紀・真弓倫子・渡辺美奈代・渡辺満里奈・国生さゆり・工藤静香・生稲晃子・斉藤満喜子・中山美穂・中山忍・吉田真里子・国実百合・河田純子・田村英里子・増田未亜・千葉美加・細川直美・高橋由美子・田中陽子・寺尾友美・西野妙子・宍戸留美・木原美智子・山中すみか・田山真美子・桜井幸子・BABY'S・CoCo(宮前真樹・三浦理恵子・瀬能あづさ)・中嶋美智代・堀川早苗・花島優子・Cotton・加藤紀子・胡桃沢ひろ子・新島弥生・木内美歩・小田茜 全日本親衛隊同盟 南野陽子・浅香唯・大西結花・中村由真・小沢なつき・小高恵美・石田ひかり・高井麻巳子・岩井由紀子・我妻佳代・河合その子・杉浦幸・相楽ハル子・本田理沙・西田ひかる・田山真美子・白田あゆみ・姫乃樹リカ・麻田華子・伊藤智恵理・田中律子・山口由子・川越美和・佐藤忍・中山忍・芹沢直美・渡瀬麻紀・安永亜衣・CoCo(大野幹代・羽田恵理香)・ribbon・Qlair・早坂好恵・堀川早苗・吉沢瞳・薬師寺容子・奥山佳恵・遠野舞子・宮田愛 連合・同盟の分裂後も両者による主導権争いが行なわれ、コンサートやイベントでかち合う度に小競り合いを繰り返していた。また互いに同じアイドル歌手の親衛隊を作らない協定を結ぶが、結局は表面上の約束で、吉田真里子や中山忍、CoCo等で衝突してしまう。特に、1988年5月21日によみうりランドオープンシアターEASTで吉田真里子のデビューイベントが行われた際の大乱闘は翌日の新聞に採り上げられた。また、この頃には一般ファンによるグループ化が目立ち始める。彼らは親衛隊の上下関係や束縛を嫌い、メジャーな所では“OBG”や“元連合SEC(聖子隊)の一部のメンバーによるAJO関東B・G連合”など。これらのグループは特に解散直前直後のおニャン子周辺で多く見られ、全員はっぴを着ているため「ハッピ軍団」と呼ばれ、おニャン子ファイナルコンサートでは代々木体育館前で全員でハッピを広げ、翌日のスポーツ新聞に掲載されたりした。その後勢力を伸ばしつつあったが、おニャン子の衰退と親衛隊、特に関西連合の圧力によって姿を消していった。 関東連合出身の幹部2名により、新組織“日本親衛隊連盟”発足との噂が流れたが、実際に設立されることはなかった。
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