参照源
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 00:33 UTC 版)
マネは、本作品の下敷きとして、多くの作品を参照したと考えられている。人物を並べる全体の構成については、ディエゴ・ベラスケスの『バッカスの勝利』を参照したと考えられる。画面の左上にぶどうの葉を描いている点、右上に帽子をかぶった男を配している点も共通している。ただし、マネは、ベラスケスの原作を見ておらず、セレスタン・ナントゥイユによる複製リトグラフを参考にしたと考えられる。マネは、『エミール・ゾラの肖像』(1868年)の中にも、『バッカスの勝利』を描き込んでいる。 同時に、ル・ナン兄弟の『笛を吹く老奏者』も参照したと考えられる。特に、笛を吹く老人、2人の男の子、少女の姿は、本作品への影響が見られる。当時、マネの知り合いであるレアリスムの批評家シャンフルーリ(英語版)がル・ナン兄弟の再評価を進めており、マネはそのこともあってル・ナン兄弟への関心を持っていたと考えられる。マネが見たのは、原作ではなく、シャルル・ブラン編『全流派画人伝』の中の複製図版と考えられる。 ディエゴ・ベラスケス『バッカスの勝利(英語版)』1628-29年。油彩、キャンバス、165 × 225 cm。プラド美術館。 ル・ナン兄弟『笛を吹く老奏者』1642年。油彩、銅、22.5 × 30.5 cm。デトロイト美術館。 画面左の白い服の少年は、アントワーヌ・ヴァトーの『ピエロ』をモデルにしていると考えられる。マネの制作当時、この作品は医師ラ・カーズのコレクションにあり、『ガゼット・デ・ボザール』誌(1860年9月1日号)で挿絵とともに紹介された。 アントワーヌ・ヴァトー『ピエロ(ジル)』1718-19年頃。185 × 150 cm。ルーヴル美術館。 左端で赤子を抱く少女は、アンリ・ギヨーム・シュレジンゲル(フランス語版)の『さらわれた子供』の右端の少女であると指摘されている。この作品は、1861年のサロン・ド・パリに出展され、同年、『ル・マガザン・ピトレスク』誌に複製図版が掲載された。 アンリ=ギヨーム・シュレジンゲル『さらわれた子供』1861年。 ヴァイオリン弾きは、バティニョール地区(英語版)に住んでいたジプシーの頭領で、手回しオルガン弾きのジャン・ラグレーヌをモデルにしてマネが描いたことが写真によって確認されている。その姿については、ル・ナン兄弟の『笛を吹く老奏者』のほかに、ストア派の哲学者クリュシッポスをかたどったルーヴル美術館のヘレニズム彫刻(ローマ時代のレプリカ)のポーズに基づいていることが分かっている。マネは、この彫刻を本作品のヴァイオリン弾きと同じ向きで描いたデッサンを残している。 『クリュシッポス』ルーヴル美術館。 画面右のシルクハットをかぶった男は、マネ自身が1859年のサロンに提出し落選した『アブサンを飲む男』と全く同じである。 エドゥアール・マネ『アブサンを飲む男(英語版)』1859年。油彩、キャンバス、180.5 × 105.6 cm。ニイ・カールスベルグ・グリプトテク美術館(コペンハーゲン)。 右端の人物は、マネが手帳に「白髭の老ユダヤ人」と手帳に書き留めていたゲルーという人物であるとされる。 このように、本作品は、過去と同時代の絵画・彫刻を参照しながら、パリ周縁部の場面を再構成した「アッサンブラージュ」(寄せ集め)の手法を用いたものと評されている。
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