印象派以後への影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 07:47 UTC 版)
「エドゥアール・マネ」の記事における「印象派以後への影響」の解説
セザンヌ『草上の昼食』 セザンヌ『モデルヌ・オランピア』 ポール・セザンヌは、マネの『草上の昼食』、『オランピア』に影響を受け、自ら『草上の昼食』、『モデルヌ・オランピア(現代版オランピア)』を制作した。こうした作品を通じ、セザンヌは、男女関係や女性のヌードをどのように描くのかという課題と向き合い、性的なエネルギーを暴発させるのではなく造形作品として仕上げていくことを学んでいった。また、マネの『温室にて』や『フォリー=ベルジェールのバー』では、厳密な遠近法がとられず、複数の視点から見た形が画面上に統合されているが、これはセザンヌの静物画でも見られる特徴である。現実を単純に模倣するのではなく、自らの感覚で素材を操作し、絵画作品として造形するという発想は、マネからセザンヌ、ピカソにも受け継がれていく。 ゴーギャン『マネ「オランピア」の模写』 ゴーギャン『死霊が見ている』 ポール・ゴーギャンも、『オランピア』のかなり忠実な模写を制作している。ゴーギャンのタヒチ時代の作品『死霊が見ている(マナオ・トゥパパウ)』、『テ・アリイ・ヴァヒネ(王の妻)』などの裸婦像には、『オランピア』のイメージが見て取れ、しかも、平坦な色彩を更に押し進めたものとなっている。マネの作品には、ゴーギャンにつながるオリエンタリズムやプリミティヴィスムの要素も隠れていることがうかがえる。 アンリ・マティスは、「マネは本能を解放することで自らの感覚の直接的な表現を行った最初の画家です。」と書いている。マティスの『コリウールのフランス窓』に、マネの『バルコニー』からの刺激が見られるとの指摘もある。 明示的なパロディとして有名なのは、シュルレアリスムの画家ルネ・マグリットが『バルコニー』の人物を棺桶に置き換えた作品であり、現代人の孤独や孤立性を誇張している。 パブロ・ピカソは、1901年に『「オランピア」のパロディー』を描いている。白人の裸婦が黒人になっており、召使いが黒人女性から白人男性に変わり、猫に犬が加わり、裸の自画像が客として描かれている。娼館を舞台とした大作『アビニヨンの娘たち』(1907年)の参照源の一つとなっているとされる。『恋人たち』(1919年)はマネの『ナナ』に依拠しながら大胆に変更を加えた作品で、画面の右上に「Manet」という文字が入っている。そのほかにもマネ作品を引用、再解釈したと考えられる作品がある。晩年のピカソは、過去の名作のヴァリエーション(変奏)を多数制作しているが、1959年8月から1962年7月にかけて、『草上の昼食』のヴァリエーションを手がけ、油彩画27点、デッサン140点、厚紙模型、彫刻などを残している。
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