印象派の擁護
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/09 06:04 UTC 版)
美術評論家として影響力を持ち、エドゥアール・マネやギュスターヴ・クールベと親交を持った。また、当初は社会から酷評されていた印象派を擁護し、1878年、小冊子『印象派の画家たち』を刊行した。ここでは、クロード・モネ、アルフレッド・シスレー、カミーユ・ピサロ、ピエール=オーギュスト・ルノワール、ベルト・モリゾの5人を印象派と認め、エドガー・ドガ、ギュスターヴ・カイユボット、ポール・セザンヌ、アルマン・ギヨマンなどは、「印象派ではないが、一緒に出品した優れた才能を持つ他の画家」と整理している。1906年、これを大きく拡充して印象派の歴史をまとめた『印象派の画家たちの歴史』を出した。 美術品の収集に熱心で、印象派の画家たちの作品を多数収集していたが、1894年3月、そのコレクションは売立てに出された。その前年の1893年にはそれまで収集していた浮世絵コレクションもすべて売却した。
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