協会に対する反応
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「シンシナティ協会」の記事における「協会に対する反応」の解説
独立戦争終戦後の年月で協会員の数は拡大を続けた。会員は合衆国政府や多くの州政府の要職に就いていた。協会はその設立目的を体現することになった。しかし、トーマス・ジェファーソンなどは世襲的特権階級を作り出すことに警告を発していた。会員資格は長子相続制によって受け継がれ、一般の兵士を排除していた。多くの場合、相当期間州の軍隊や大陸軍に関わっていなければ、民兵の士官も排除されていた。 ベンジャミン・フランクリンも当初から協会に批判的であった。ただし、フランクリンは後に共和国における協会の役割を認め、国が安定した後では名誉会員にすらなった。フランクリンは貴族階級を作ることを心配しただけでなく、ワシの紋章を使うことが世襲という慣習を想起させることも恐れていた。フランクリンはシンシナティ・イーグルに関する論評の中で、直接ではないが兄貴分のアメリカ合衆国の国章についてもやわらかく抗議していた。 1784年1月26日、フランクリンは唯一の娘サラ・ベイチェに宛てた手紙の中で、協会の及ぼす悪影響とワシのイメージに国の性格に対する影響について長々と認めていた。そのイメージが協会の紋章の円形模様に描かれることになったので、フランクリンは次のように書いていた。 リボンとメダルを持ってフランスに旅した紳士は立派にその役割を果たした。私にはそれがまあまあの成果には見えるが、このような事全てが批判されている。...私に言わせれば、ハクトウワシをこの国を代表するものに選ぶべきではなかった。それは道徳的に悪い性格の鳥である。ワシは正直に生活してる訳ではない。...それ故に我々の国から「王の鳥」を駆逐した勇敢で正直なアメリカのシンシナティに対して、ワシは決して適当な紋章ではない。ただし、フランス人が言う「勤勉なる騎士」の位を表すには良く似合っている。 協会の影響は他の関心も呼んだ。憲法制定会議の代議員が大統領を選出する方法を議論しているときに、マディスンはマサチューセッツのエルブリッジ・ゲリーの次の演説を記録している。 この場合の普通選挙は根本的に性質の悪いものである。民衆の無知は、合衆国中に分散した男達に権力を与え、民衆を欺いてある取り決めに向かわせてしまう可能性がある。私はシンシナティという階級の中にいる人々の協会を観察してきた。彼らは尊敬に値し、団結し、影響力ある者達である。もし選挙が民衆に及ぶならば、彼らは実際に如何なる場合も大統領を選ぶであろう。私がこの協会を構成する人々を尊敬していることは、そのような権力を彼らの手に渡してしまうことの危険性と不適当であることに目を瞑らせることではない。 協会の初期にあった国際的な抗議の嵐が終息するにつれて、協会は教養のある公僕を輩出する機関として19世紀に頭角を現し、アメリカの西部への拡大を進め、ワシントン(連邦政府)における団結力を作り上げた。初期の協会員には次のような者がいた。タデウシュ・コシチュシュコ、ジョン・ブルックス、ウィリアム・ユースティス、クリスチャン・フェビガー、アレクサンダー・ハミルトン、ラファイエット、チャールズ・マクナイト、ストイベン男爵、ジョシア・ハマー、トマス・ポージー、リチャード・バトラー、ジョン・トランブル、ルーファス・パットナム、ウィリアム・ステーシー、ジェイムズ・ミッチェル・バーナム、デイビッド・ジーグラー(初代シンシナティ市長)、エベネザー・デニー(初代ピッツバーグ市長)、ジョン・ポール・ジョーンズ、トマス・タクスタン、ナサニエル・ラムゼー、アイザック・フーガー、ウィリアム・S・スミス。また、初期の連邦保安官であるロバート・フォーサイスやアラン・マクレーンも含まれていた。
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