北条泰時の死去とは? わかりやすく解説

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北条泰時の死去(関東政変)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 05:35 UTC 版)

仁治三年の政変」の記事における「北条泰時の死去(関東政変)」の解説

朝廷皇統変更巡って様々な動き見せている最中鎌倉では北条泰時が病に倒れる。 『吾妻鏡』仁治3年1242年)条が無いため、『平戸記5月13日条が初期の情報伝え史料となる。同条によれば4月27日泰時体調崩して病気となり、一旦は回復して5月5日には沐浴をしているが、その後で再び病状悪化し鎌倉から5月12日深夜泰時重篤知らせ飛脚京都到着し、更にこの日(13日)の続報知らせ飛脚泰時体調持ち直したものの、六波羅探題である北条重時には鎌倉帰還命じたためにこれを受けた重時はこの日の夕方六波羅出発した。ところが帰還命じられていない北条時盛までが鎌倉帰還するというので京都治安はどうなるのか?と筆者平経高)は不安を抱いたというものであったその間にも鎌倉情勢動きつつあり、『鎌倉年代記』裏書によれば5月9日泰時出家し11日には朝時が出家後述の『平戸記』では10日夜)、15日には足利義氏出家している。泰時と朝時の出家に関しては少し遅れて京都にも伝わり、『平戸記』にも5月16日17日条に記されているが、17日条には泰時不仲であることで京都公家たちにも知られていた朝時の出家筆者平経高驚き鎌倉で何か異変起きているのではと推測している。 六波羅探題北方である重時は朝時の同母弟であるが異母兄である泰時からの信任厚く泰時万一備えて今後のことを相談するために呼び寄せた考えられる一方南方である時盛の方は父の時房の死後鎌倉で自らが父の政治的立場継承しようと図るなど、泰時からすれば警戒対象であって呼び寄せられることはなかった。そして、実際に泰時重病を知るや再び自らが執権連署)に就ける再度機会捉えて無断鎌倉戻った考えられる一方鎌倉にいた朝時も泰時に何かあれば自らが執権連署)に就く機会狙っており、鎌倉にいたその一族郎党存在はより時盛上の脅威であった。そのため、泰時その周辺が朝時に圧力をかけて出家を迫ると共に後継者である経時への忠誠求めた。朝時も状況の不利を悟ってこの要求受け入れた推測される。 ところが、それ以降鎌倉からの情報途絶することになる。『平戸記5月2628日によれば幕府側は京都鎌倉交通遮断して将軍頼経の父である九条道家使者さえも途中で追い返されたと伝えている。六波羅探題両名不在加えて鎌倉との連絡途絶えたことで朝廷をはじめるとする京都側には全く情報が入らなくなり『吾妻鏡』含めて鎌倉側の記録残っていないため(研究者京都公家日記依拠するしかないため)にその間何が起きていたのかが分からない状態になっている。なお、前述のようにこのような状況下で、6月10日西園寺公経孫娘である姞子の入内行っている。 そして、泰時死去具体的な情報伝えているのも『平戸記6月20日条である。それによれば6月10日には病状回復して食事も摂れるようになっていたが、翌11日から病状が再び悪化し15日には高熱苦しみながら遂に死去した記している。 泰時死後その子孫最年長である嫡孫経時19歳執権地位就いた。しかし、京都側では様々な情報飛び交ったらしく、また実際に経時執権就任した日付裏付ける史料存在しないため、その就任がいつどのような形でに行われたかも明確ではない。また、次席執権と言える連署任命されなかった。確かに時房の死後連署不在のままであったが、老練泰時弱年経時では状況異なっていた。石井清文は北条氏一門ならば泰時異母弟ある朝時・重時・有時・政や甥の実時、従弟時盛らが、非北条氏一門ならば足利義氏三浦泰村なども候補になり得たであろうが、経時単独支えられるような卓越した有力者がおらずに互いに牽制しあう関係にあるという政治的安定要因連署設置断念させたとしている。実際経時周辺では、独自の政治的行動見せ始めた将軍九条頼経経時頼経双方に近づいて発言力高め三浦泰村存在、朝時や時盛と言った泰時対立関係にあった一門への対応、そして弟の時頼の処遇などの問題抱えていた。 なお、京都ではその後泰時から今後の方針託され1人思われる重時は7月10日六波羅帰還したものの、無断鎌倉戻った時盛帰還するともなく政治的に失脚することになる。

※この「北条泰時の死去(関東政変)」の解説は、「仁治三年の政変」の解説の一部です。
「北条泰時の死去(関東政変)」を含む「仁治三年の政変」の記事については、「仁治三年の政変」の概要を参照ください。

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