北アフリカからの早期の拡散
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 13:35 UTC 版)
「現生人類の拡散」の記事における「北アフリカからの早期の拡散」の解説
詳細は「:en:Northern Dispersal」を参照 ホモ・サピエンスは17万7千年前までにアフリカから出たとされており。ホモ・サピエンスがレバントを経由してヨーロッパに到達したのは13万年前から11万5千年前であるとされている。 イスラエルのミスリヤ洞窟(英語版)では、約18万5千年前のホモ・サピエンスの顎骨の断片が見つかっている。同じ洞窟の25万-14万年前の地層からはルヴァロワ技法(英語版)による打製石器が見つかっており、この石器とホモ・サピエンスの顎骨とが関連付けられれば、人類がヨーロッパから出た時期がより早くなるような証拠となりうる。 早期にアフリカを出たホモ・サピエンスは永続的な定住にはつながらず、8万年前までにはホモ・サピエンスの分布は縮小し始めていた。125,000年前には中国に到達していた可能性があるが、そうであれば現代人にゲノムの痕跡はなくこの集団は絶滅したと考えられることとなる。 現生人類は少なくとも125,000年前にはアフリカを出て、2つの経路でユーラシア大陸に拡散した。1つはナイル渓谷から中東に向かったという経路で、パレスチナには到達しており、ナザレ付近のカフゼ洞窟(英語版)では120,000–100,000年前の人骨が見つかっている。もう一つの経路は海水面が低く現在より幅が狭かったバブ・エル・マンデブ海峡付近の紅海を横断し、アラビア半島を通って、現在のアラブ首長国連邦やインド大陸に至ったという経路である。この経路上のアジア側からは現生人類の化石は見つかっていないが、明白に似通った石器がアラブ首長国連邦のジェベル・ファヤ(英語版)(125,000年前の石器)やオマーン(106,000年前の石器)から出土しており、インドのジュワラプラム(英語版)で見つかった7万5千年前の石器と合わせてすべてホモ・サピエンスの石器であると推定されている。これらの石器の発見は100,000年前には現生人類が中国南部に到達していたという学説を裏付けるものとなっている。中国広西チワン族自治区崇左市の智人洞(英語版)からは旧人類と混血した現生人類の約10万年前の化石が、広西チワン族自治区柳江県の通天岩洞窟からは13万9千年–11万1千年前のものと主張される柳江人の人骨がそれぞれ見つかっている。さらに、広西チワン族自治区の陸那洞からは人骨のうち歯の部分が見つかり、その中の右上の第二大臼歯と左下の第二大臼歯が12万6千年前のものであることが示唆された。アフリカから中東、インド、中国へと拡散した人類の痕跡が現代人のY染色体やミトコンドリアには残らなかったという分析結果より、早期にアフリカから出たホモ・サピエンスは生存競争に敗れて、旧人類に同化していったと考えられている。 ミトコンドリアDNAを解析によって、現生人類は少なくとも一回のボトルネック効果を経験しており、遺伝子多様性が急激に失われたことが分かっている。アメリカ人人類学者のヘンリー・ハーペンディング(英語版)はおおよそ10万年前に地理的に限られた地域から人類は拡散していったが、地理的ボトルネック効果を経験して約5万年前にアフリカから劇的に人口が増加しはじめ、ほかの地域でも人口の急増が起こったと考えている。気候学および地質学的な痕跡からはボトルネック効果の形跡が見られる。およそ7万4千年前にインドネシアのスマトラ島にあるトバ火山が第四紀最大級の大噴火を起こしており、寒冷期がその後1千年間続いて地球の人口を減少させた可能性がある。これを生き残ったのはわずか15,000人であったと推定されており、遺伝的浮動や創始者効果が大きくなった可能性がある。 アフリカ人のゲノムの大きな多様性はトバ事変の際にアフリカが人類の避難所となっていたことを示唆するとみられている。しかし、近年の報告では古代のDNA分析においてはアフリカ単一起源説を前提としたときよりも多地域で進化が起こりユーラシア大陸で混血が起こったことを前提としたときの方が古代DNA分析の整合性が高くなることを主張したものもある。また、そもそもトバ事変が当時の地球の人口にはほとんど影響を及ぼさなかったと主張する研究者もいる。
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