北アフリカから撤退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:20 UTC 版)
「エルヴィン・ロンメル」の記事における「北アフリカから撤退」の解説
1943年3月9日にヒトラーはロンメルをアフリカ軍集団司令官から解任してベルリンに呼び戻した。ヒトラーがロンメルを解任した理由についてはよく分かっていない。ロンメルが病気で衰弱していたという説、敗北に対する処分だったという説、どう考えても北アフリカの戦況は好転しないのでロンメルの名声を守るために彼をこの戦域から外したという説、この数週間前にソ連軍の捕虜となったパウルス元帥に続いてまた一人ドイツ軍元帥が捕虜になるのを恐れたという説などがある。アフリカ軍集団の指揮はアルニム上級大将が引き継ぎ、彼らの戦いはその後も続いたが圧倒的な連合軍の物量に抗する術は無く次々と主要な拠点や港を失い、5月13日には降伏した。わずかに脱出に成功した残存戦力は車両抜きで西部戦線へと移動した。 ヒトラーはロンメルがベルリンへ戻ってきた後、彼のこれまでのアフリカでの戦いの労をねぎらい、1943年3月11日付けで騎士鉄十字章のダイヤモンド章を授与した。 3月にドイツ本国に送還されてからしばらくロンメルは療養生活を送っていたが健康が回復したせいもあり、6月にはギリシャの防衛を担当していたE軍集団の指揮官に任命された。これは英軍によるギリシャ上陸を警戒しての人事であったが結局ギリシャに連合軍が上陸を仕掛けることは無かった。
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