動力の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/25 06:49 UTC 版)
TEEは当初すべての列車が気動車列車であった。しかしスイス国鉄では、アルプス山脈やジュラ山脈の急勾配区間を越える列車では気動車では出力不足であり、強力な電車が必要であると考え、1957年以来国際列車用の電車の研究を行なっていた。一方で、西ヨーロッパでは主に以下の4通りの電化方式が混在していた。 直流 1500V : フランス(パリ以南)、オランダ 直流 3000V : ベルギー、イタリア 交流 15kV 16 2/3Hz : スイス、西ドイツ、オーストリア 交流 25kV 50Hz : フランス(1950年代以降の電化路線) 1961年、スイス国鉄はこれら4方式すべてに対応したRAe TEE II形電車を投入し、ゴッタルド、ティチーノ(ともにチューリッヒ - ミラノ)、シザルパン(パリ - ミラノ)の3往復の電車TEEが新設された。 1960年代には西ヨーロッパの主要幹線の電化が進み、スイス以外の各国鉄もTEEに電気動力を用いようとした。しかし構造が複雑で取り扱いの難しい交直両用電車は受け入れられず、電気機関車牽引の客車列車とし、必要に応じて機関車を交換しながら運行する方法が選ばれた。また国境付近など電化されていない区間ではディーゼル機関車が用いられることもあった。 1963年9月1日、パリ - ブリュッセル間のTEEブラバントが初の電気機関車牽引のTEEとなった。 1964年以降フランス国鉄とベルギー国鉄は共同で開発したTEE用客車をパリ・ブリュッセル・アムステルダム系統のTEEに用いるようになった。後にスイス国鉄もフランスと同型の客車を保有するようになり、フランス国鉄所有車と混結してフランス・スイス間などのTEEに用いた。 西ドイツ国鉄では1962年にラインゴルト用に製造したのと同型の客車を増備し、TEEにも使用した。1965年3月1日にTEEヘルヴェティアが初の西ドイツ客車によるTEEとなった。 イタリア国鉄ではTEEに気動車を用い続けていたが、1960年代末になるとイタリアのTEE用気動車は冷房がないなど他国のTEE用客車と比べ見劣りし、もはやTEEにはふさわしくないとされるようになった。そこでイタリア国鉄も1969年にTEE客車の開発に着手した。1972年5月28日にTEEレマノが客車列車化され、1972年中にイタリア国鉄担当のTEEはすべて客車化された。 オランダ、ルクセンブルク、オーストリア、デンマークの各国鉄の客車はTEEには用いられていない。ただしルクセンブルクを除く各国の機関車はTEEの牽引に用いられた。 なお客車化によって余剰となったTEE用気動車を用いることにより、新たにTEEに格上げされた列車にディアマント(ドルトムント - アントウェルペン、西ドイツ国鉄車、1965年昇格)とバヴァリア(チューリッヒ - ミュンヘン、オランダ国鉄・スイス国鉄車、1969年昇格)がある。ただしこれらも後に客車列車化されている。 最後まで気動車列車として残ったTEEはエーデルヴァイスであるが、これも1974年5月26日に電車化され、気動車TEEは消滅した。
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