労働社会学の研究、政治活動
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「ピエール・ナヴィル」の記事における「労働社会学の研究、政治活動」の解説
ナヴィルは、これ以後、ジョルジュ・フリードマン(フランス語版)が「産業社会のなかで進行する機械化、自動化や分業の深化との関連で人間労働の運命と可能性を追求する」学問として提唱した労働社会学(フランス語版)および心理学の研究に専念し、1942年にシュルレアリスム時代の著書から15年ぶりに『心理学、行動科学 - ワトソンの行動主義心理学』(邦題『心理学 - 行動の科学』)、翌43年に『ポール・ティリ・ドルバックと18世紀の科学哲学』を発表した(著書参照)。さらに1943年に職業指導員の資格を取得すると同時に、フランス国立科学研究センター(CNRS)の研究員として研究と博士論文執筆に取り組んだ。 1944年にマルクス主義経済学者のシャルル・ベトレーム(フランス語版)、左派政治活動家・記者のジル・マルティネ(フランス語版)とともに雑誌を創刊する予定であったが実現せず、翌1945年に単独で『国際評論(la Revue internationale)』を創刊。1951年に第27号をもって終刊となるまでベトレームとマルティネのほか、ダヴィッド・ルーセ(フランス語版)、モーリス・ナドー(フランス語版)が編集委員として参加し、ジャック・プレヴェール、ジャン・ロスタン(フランス語版)も寄稿。主に政治・経済に関する記事や文芸評論を掲載した。さらに、『国際評論』の共同編集者・寄稿者らとともにフランス社会党から除名された者たちによって結成された合同民主社会主義運動を支持し、この運動から1948年に合同社会党(Parti socialiste unitaire)が結成されると、同党の運営委員会に参加した。 1950年代には『エスプリ』誌編集長のジャン=マリー・ドムナック、古代ギリシア研究者のモーリス・ラクロワ、人類博物館を創設した民族学者のポール・リヴェ(フランス語版)、哲学者のジャン=ポール・サルトル、人民戦線内閣で官房長官を務めたアンドレ・ブリュメル(フランス語版)ら左派の知識人を中心とする「自由の擁護のための知識人行動委員会(Comité d’action des intellectuels pour la défense des libertés)」に参加するほか、共産党や社会党の方針に失望して、左派社会党(PSG)、社会主義左派連合(UGS)などの小規模な左派政党の集会に参加していたが、1957年末にフランス社会党から分裂した社会主義左派連合(フランス語版)に参加し、1960年に統一社会党として再結成された後も1990年に解散するまで党員として活躍した。
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