労働福祉庁長官
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 23:23 UTC 版)
同年10月に国家労働局次長に任命され、労働局が労働福祉庁に改組されるとペロンは同庁の初代長官となり、労働争議に介入し、労働者に有利な裁定を行った。労働法の制定や労働者の組織化にも力を注ぎ、こうした労働者保護政策によって1943年から1945年までの二年間で、「社会党が数十年かかってなしとげた以上の成果を達成した」(ペンドル)。しかし一方でこのような国家による労使協調政策に反対する自主的な労働組合、特に共産党系の労働運動は激しく弾圧されるなど、ペロンの労働政策は労働者に対する保護と規制を同時に推進する、言わば「アメとムチ」の性格を併せ持っていた。
※この「労働福祉庁長官」の解説は、「フアン・ペロン」の解説の一部です。
「労働福祉庁長官」を含む「フアン・ペロン」の記事については、「フアン・ペロン」の概要を参照ください。
- 労働福祉庁長官のページへのリンク