労働組合との関わりとは? わかりやすく解説

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労働組合との関わり

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 16:26 UTC 版)

松田昌士」の記事における「労働組合との関わり」の解説

国鉄末期からJR東日本創設期経営実権を握る間、国鉄時代において最有力労働組合であった国鉄労働組合国労)の弱体化のための諸施策講じたとされる。これは、公共部門民営化通じて55年体制下における社会党有力な支持基盤である総評弱体化目指す中曽根康弘政権政治戦略合致しており、その結果国労民営化過程において分裂し少数組合転落した松田国労に対して、「反対派はしゅん別し断固として排除する等距離外交など考えてもいない。処分注意処分注意くりかえし、それでも直らない場合は、解雇する」(1987年5月25日)と強硬路線明言している。一方で民営化賛同した組合とは協調路線取ったJR分割民営化反対した国労組合員採用しなかったため、不服として各地地方労働委員会異議申し立てが行われた。地労委申立て認めたため、松田1988年10月全日本鉄道労働組合総連合会JR総連傘下JR東労組講演で、「今度国労だけではなくて地方労働委員会相手戦おうではありませんか」と述べた国労衰退後鉄道労連最大組合となっていたが、JR内部労働組合離合集散は収まらず、JR総連日本鉄道労働組合連合会JR連合分裂発生したその後JR総連との蜜月関係続いており、松田東日本旅客鉄道労働組合JR東労組主催反戦集会来賓参加して「平和を守ろう」などと発言し集会終了時には松崎明と共に拳を上げながらシュプレヒコールを行うなどといったことが見られとされる。 もっとも、西岡研介によれば鉄道労連初代会長である志摩好達(鉄労出身)が、JR発足の3か月後である1987年7月にその脱退表明した事件があり、背後には松田糸を引いていたという。ところが、当時政府筋から「スタートしたばかりのJR労働組合分裂すれば行革成果に傷がつく」とブレーキ掛かったため松田手を引き孤立した志摩脱退断念したという。つまり、松田松崎明と、その背後にいるとされた革マル派を、分割民営化利用した上で使い捨てにしようとした失敗、その弱みから松崎屈服したというのであるまた、この事件おかげでJR連合分裂遅れたということにもなる。 その後の「国鉄改革3人組」のうち、井手葛西は、西日本旅客鉄道JR西日本)、東海旅客鉄道JR東海)におけるJR総連傘下組合少数派追い込んだが、松田JR総連との蜜月関係温存したまま会長引退している。蜜月関係は現在も続いており、その関係を築いたのが松田ではないかということは西岡が『週刊現代』『月刊現代』において指摘していることでもある。この点において、葛西から「国鉄改革未完だ」と言われる所以でもある。

※この「労働組合との関わり」の解説は、「松田昌士」の解説の一部です。
「労働組合との関わり」を含む「松田昌士」の記事については、「松田昌士」の概要を参照ください。

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