初期の征服、領有権主張および植民
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 15:09 UTC 版)
「ヨーロッパ諸国によるアメリカ大陸の植民地化」の記事における「初期の征服、領有権主張および植民」の解説
初期に既存文明を征服したのはスペインとポルトガルであった。1494年、トルデシリャス条約がローマ教皇によって批准され、これら2つの王国は自分達だけで非ヨーロッパ世界を二分した。その境界線は南アメリカ大陸の上に引かれた。この条約に従って、スペインの探検家バスコ・ヌーニェス・デ・バルボアは太平洋に接する陸地はすべてスペインのものと主張した。スペインは初期にカリブ海の島嶼を征服していたが、急速にその領土拡大を進め、16世紀半ばまでにアステカ帝国およびインカ帝国を滅ぼして、南アメリカ西部から中央アメリカ、メキシコに至る地域を支配下においた。その同じ時期にポルトガルは南アメリカの東部を征服し、ブラジルと名付けた。 他のヨーロッパ諸国は、自分達に何の相談も無く定められたトルデシリャス条約に文句を付け始めた。イギリスとフランスは16世紀にアメリカ大陸に植民地を築こうとしたが、初めは失敗に終わった。しかし、17世紀に入って、その2王国に加えてオランダが恒久的な植民地を築くことに成功した。既にスペインが征服していたはずのカリブ海の島嶼(一部は疫病で無人化していた)であったり、スペインが植民地建設を試みたフロリダより北部の北アメリカ東海岸であったりした。 一方、これら後発のヨーロッパ諸国はすでにスペインとポルトガルが支配していた中南米やインド洋を避け、北アメリカの北を回航してアジアに至る航路(北西航路)を開拓しようとした。ジョン・カボット、ジャック・カルティエ、ヘンリー・ハドソンといった探検家らは国や貿易会社に支援され盛んに北アメリカや北極海に船を出した。こうした探索はカナダなど北アメリカの探検を進める原動力となったものの、グリーンランドの西方の海はことごとく流氷に閉ざされており、誰一人「北西航路」を発見できた者はいなかった。 北アメリカにおける初期植民地は、スペイン領フロリダ、イギリス領バージニアとニューイングランド、フランス領アカディアとカナダ、スウェーデン領ニュースウェーデンおよびオランダ領ニューネーデルラントであった。18世紀に入ってデンマーク=ノルウェーがグリーンランドの植民地を復活し、シベリアを横断したロシア帝国がアラスカに足場を築いた。 その他にも多くのヨーロッパ諸国がアメリカ大陸の植民地化について興味を示すようになり、領土争いは次第に激しさを増した。植民地の者達はしばしば隣の植民地からの攻撃に怯え、また先住民族や海賊の攻撃という可能性もあった。
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