初期の彗星捜索
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 10:18 UTC 版)
池谷薫による池谷彗星 (C/1963 A1) の発見に刺激を受けて彗星捜索を始め、1968年4月25日に多胡・本田・山本彗星(イタリア語版) (C/1968 H1) を発見した。この彗星は急に明るくなったため多くの独立発見者がいた中で、板垣の発見は最初だったが、報告が遅れたため、彗星に板垣の名は付かなかった。その後の捜索では成果が上がらなかった。 また、1994年7月のシューメーカー・レヴィ第9彗星の木星衝突前後から太陽系小天体の地球衝突が問題となり、NASA等の公的機関による彗星・小惑星の積極的な探索が行われるようになったことから、アマチュア天文家による第一発見は稀なものとなった。板垣自身も「木星に彗星が突入した「あの大事件」を境にアマチュアが彗星を発見するのはとても困難になりました。」と語っている。
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