初期の建設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 23:30 UTC 版)
「ボルチモア・アンド・オハイオ鉄道」の記事における「初期の建設」の解説
1828年7月4日の独立記念日、合衆国独立宣言の署名者であったチャールズ・キャロル・オヴ・カロルトンらにより、最初の礎石の据付が行われた。カロルトンは独立宣言署名者としては最後まで生き残った人物であり、一族はボルチモアの名家であった。 1830年5月24日、最初の開業区間であるボルチモア〜メリーランド州エリコット間が開通した。パタプスコ川沿いをパーズ・リッジ付近まで遡り、そこで瀑布線を横切ってモノカシー川およびポトマック川の谷間まで降りてゆくルートである。当初は馬車鉄道のみであったが、8月よりアメリカ最初の蒸気機関車「トム・サム(親指トム号)」が使用されている。 以降、下記のように延伸される。 1831年12月1日 - エリコット〜フレデリック(メリーランド州)。フレデリック・ジャンクション〜フレデリック間は支線 1832年4月2日 - フレデリックジャンクション〜ポイント・オブ・ロックス(メリーランド州) 1834年12月1日 - ポイント・オブ・ロックス〜サンディ・フック(メリーランド州) 1842年5月 - サンディ・フック〜マーティンズバーク(ウエストバージニア州) 1842年6月 - マーティンズバーク〜ハンコック(ウエストバージニア州) 1842年11月5日 - ハンコック〜カンバーランド(メリーランド州) 1851年7月21日 - カンバーランド〜ピードモント(ウエストバージニア州) 1852年6月22日 - ピードモント〜フェアモント(ウエストバージニア州) 1853年1月1日 - フェアモント〜ホイーリング(ウエストバージニア州) また、1831年に、メリーランド州はB&OにボルチモアからワシントンD.C.への鉄道建設の認可を出した。1835年8月25日にはワシントン支線が開業し、首都ワシントンに乗り入れた最初の鉄道となった。この路線は、ボルチモアから西進するメインラインとはリレイで分岐し、パタプスコ川をトーマス橋で越えてワシントンD.C.へと向かうもので、部分的に州の資金により建設された。そのため、1870年代まで旅客収入の25%は州の収入とされていた。さらに、1873年にはワシントンD.C.〜ポイント・オブ・ロックスまでの首都支線が開通すると、このリレイ〜ワシントンD.C〜ポイント・オブ・ロックスのルートは名称こそ「支線」ながら事実上のメインラインとなった。1900年代初期には改良が施され、1928年には複線化された。従来のフレデリック南部を通るルートは予備的なルートとなり、「オールド・メインライン」、略してOMLと呼ばれた。 OMLで使用されていた石造りの橋は、パタプスコ川の記録的な洪水に洗われ、長持ちせず、最初にボルマントラスに架け替えられた。 1840年には、アナポリス・アンド・エルク・リッジ鉄道がアナポリスのジャンクションでこのワシントン支線と接続した。
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