初期の帝国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 03:30 UTC 版)
詳細は「ロシア帝国」を参照 18世紀に入ると、ロシアは静的でやや孤立した伝統的な国家から、より動的で部分的に西欧化した世俗的な帝国へと変貌した。この変化の原因をピョートル1世の先見性、エネルギー、決断力に求めるのは決して的外れではない。歴史家たちはピョートル個人がロシアを変えたという主張には反対しているが、彼が2世紀にわたって続いたロシア帝国の基盤を構築したという点については一致した見解を示している。 ピョートルの治世に、ロシアは初めてヨーロッパの大国の一つとしてその存在感を示した。1700年から20年続いた大北方戦争はその契機となった。この戦争でロシアはバルト海地域へ進出し、18世紀半ばには北欧や東欧一帯の支配権を確立した。この時代にロシアは内外に帝国と呼びうる内状を帯びていった。しかし19世紀には覇権国として政治面での中心的な役割を果たしつつも、農奴制を維持したことは経済的発展の大きな妨げとなっていた。18世紀後半、西ヨーロッパが産業革命による経済的成長を続けている一方、ロシアは帝国を支える巨大な権力が足枷となり、徐々に衰えを見せ始めていた。
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