初期の悟りにおける仏教の位置づけとは? わかりやすく解説

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初期の悟りにおける仏教の位置づけ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 18:26 UTC 版)

初期仏教」の記事における「初期の悟りにおける仏教の位置づけ」の解説

初期においてはゴータマ説法することを「梵輪をまわす」と呼んでいた。これは古ウパニシャッドからきており、宇宙真理悟った人が説法をするという意味があるとされる。それらのことを考えると、ゴータマ意識の中では、宇宙真理悟ったという自覚あったよであるけれども、悟り内容定式化して説く機縁にあった弟子がほとんどいなかったために、それを説く機会がなかったと見ることもできるウパニシャッドでは、「解脱」とは宇宙原理たるブラフマン自己との合一意味していた。しかし、初期仏教では人間理法体得して、安心立命境地に至ることが悟りであるとされている。梵我一如体得した古仙人たちの歩んできた道を歩んだとされるゴータマには、宇宙真理悟った人が説法をするという自覚があったのだけれども、その悟り内容は、四諦という言葉によって体系化されているという状況あるようである。そして、大乗仏教に至ると、宇宙真理(法)と一体になることを悟りとする宗派生まれてきた。 ウパニシャドでは、ブラフマンとは宇宙の最高原理とみなされており、この最高原理が人格的に表象されたものがブラフマーであり、創造神とされていた。ブラフマン大宇宙概念であり、アートマン小宇宙概念とする見方もある。善い行いをした人が死後天上界に行くとした場合や、自島明におけるなんらかの主体性などの教説見ても、自然の中には還元しきれない何ものかを仮定しているともいえる。梵天勧請経文には、最高原理の人格的な表象として、この世の主ブラフマー神というものが出てくるので、ゴータマ悟達境地宇宙の最高原理を悟るということには、何らかの関係があると見ることができる。また、人格的な表象としての梵天による勧請一段は、後世追加とする見解もある。ここにあげられているやや古い詩句は、心の中での出来事現わしたものとされ、散文説明明らかに後世のものであるとされている。いずれにしても宇宙真理としての高原理とゴータマ悟りとの間には深いつながりあるようである。 同じブラフマー神関係していると思われるウパニシャッド哲学梵我一如悟達ゴータマ悟達とを比べた場合大きく異なる点は、梵我一如におけるアートマン存在存在しないということである。しかし、この点についても、初期仏教には不確かな部分があり、「アートマン」は存在しないとは説いていないとされている。これは、アートマン実体視しているウパニシャッド哲学に対して仏教の側が反対しただけの教説にすぎない、というのがその理由となっている。ゴータマ悟り内容に関しては、アートマン存在するかどうかについての返答ゴータマ与えなかったものであるとされているので、ゴータマにおいては通過点としてのインド古来の)梵我一如境地をも悟ったがゆえに、(実体的なアートマンは無いとする無我非我立場立って説法することを「梵輪をまわす」と表現したと見ることも可能なようである。

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初期の悟りにおける仏教の位置づけ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 09:29 UTC 版)

悟り」の記事における「初期の悟りにおける仏教の位置づけ」の解説

初期においてはゴータマ説法することを「梵輪をまわす」と呼んでいた。これは古ウパニシャッドからきており、宇宙真理悟った人が説法をするという意味があるとされるウパニシャッドでは、「解脱」とは宇宙原理たるブラフマン自己との合一意味していた。しかし、初期仏教では人間理法体得して、安心立命境地に至ることが悟りであるとされている。梵我一如体得した古仙人たちの歩んできた道を歩んだとされるゴータマには、宇宙真理悟った人が説法をするという自覚があったが、その悟り内容は、四諦という言葉によって体系化されているという状況にあることが示され大乗仏教に至ると、宇宙真理(法)と一体になることを悟りとする宗派生まれてきた。 ウパニシャドでは、ブラフマンとは宇宙の最高原理とみなされており、この最高原理が人格的に表象されたものがブラフマーであり、創造神とされていた。善い行いをした人が死後天上界に行くとした場合や、自島明におけるなんらかの主体性などの教説から、自然の中には還元しきれない何ものかを仮定している。梵天勧請経文には、最高原理の人格的な表象として、この世の主ブラフマー神というものが出てくるので、ゴータマ悟達境地宇宙の最高原理を悟るということには、何らかの関係があると見ることができる。また、人格的な表象としての梵天による勧請一段は、後世追加とする見解もある。ここにあげられている古い詩句は、心の中での出来事現わしたものとされ、散文説明明らかに後世のものであるとされている。 ウパニシャッド哲学梵我一如悟達ゴータマ悟達大きく異なる点は、梵我一如におけるアートマン存在存在しないということである。しかし、この点についても初期仏教には不確かな部分があり、「アートマン」は存在しないとは説いていないとされている。これは、アートマン実体視しているウパニシャッド哲学に対して仏教の側が反対しただけの教説にすぎない、というのがその理由となっている。ゴータマ悟り内容に関しては、アートマン存在するかどうかについての返答ゴータマ与えなかったものであるとされている。

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