初代・2代目大仏殿についての資料とは? わかりやすく解説

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初代・2代目大仏殿についての資料

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 10:10 UTC 版)

京の大仏」の記事における「初代・2代目大仏殿についての資料」の解説

2代目大仏殿については、指図(設計図)が現存している。こちらも先述のように、豊臣秀頼2代目大仏殿及び大仏造立した際に、徳川家康大工中井正清派遣したが、指図(設計図)は中井家に伝来したのである中井配下平政隆が著した『愚子見記』にも、2代目大仏殿についての詳細な記述があるほか、初代大仏殿についても言及している。また江戸中期の作と思われる京都大仏殿絵図(東京国立博物館所蔵)』にも2代目大仏殿及び仁王門断面図立面図記録されている。その他大仏殿について記録した文献には(先の大仏の項目とも重複するが)以下のものがある。初代大仏殿については、醍醐寺座主義演日記である『義演准后日記』、ルイス・フロイスフロイス日本史鹿苑院院主日記である『鹿苑日録』にそれぞれ記述がある。2代目大仏殿については、エンゲルベルト・ケンペル日記記述がある。 大仏殿描いた絵図資料について2代目大仏殿については存立期間が長かったことから、建物外観が名所図会などに描かれ資料が多い。初代大仏殿については、慶長11年(1606年)作とされる豊臣家御用絵師狩野内膳による『豊国祭礼図屏風』が唯一のであろうとされる初代大仏殿については、2代目大仏殿ほど資料が豊富でなく、建物構造などの全貌把握が困難である。しかしながら各種文献史料建築学的知見から初代大仏殿復元案を提示したもので代表的なものには、主に以下の二つがある。一つ内藤昌中村利則共作による復元案(『ミヤコ変貌 聚楽第大仏殿』)で、これは1982年発表されたものである。ただ方広寺大仏殿跡の発掘調査2000年からなので、復元検討考古学的知見踏まえられていないもう一つ建築史学者の黒田龍二監修の下、大林組広報誌季刊大林」で提示した復元案(『秀吉京都建立した世界最大木造建築 方広寺大仏殿復元』)である。こちらの発表2016年で、考古学的知見踏まえて復元検討なされている。大林組復元案の特徴としては、初代大仏殿の架構構造を純大仏様構造であった考え同じく大仏様構造浄土寺浄土堂のように、屋根反りがないものとして復元している点がある。この点は、屋根反りがあったとする内藤昌中村利則による復元案と相違している。 初代2代目大仏殿は、いずれも細部意匠細部構造除いては、概ね同様の仕様であろう考えられている。 初代大仏殿 (「豊国祭礼図屏風」) 2代目大仏殿 (「東山名所図会京都府立京都学・歴彩館 デジタルアーカイブ) [参考] 東寺金堂 観相窓と切り上げ破風特徴 [参考] 東大寺大仏殿 [参考] 東大寺大仏殿観相窓と唐破風。 [参考] 東大寺大仏殿寄木と金輪(鉄輪)。

※この「初代・2代目大仏殿についての資料」の解説は、「京の大仏」の解説の一部です。
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