円盤式レコードの発達
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 14:03 UTC 版)
初期の円盤式レコードは回転数が製品により多少異なったが(更に再生する側の蓄音機も初期はぜんまい駆動が大勢を占めていたため、ターンテーブル回転速度の均質化が容易でなかった)、定速回転できる電気式蓄音機の発明により、後にSPレコード(SPは、Standard PlayingまたはStandard Playの略)と呼ばれる78回転盤(毎分78回転)がデファクトスタンダードとなった。 また、初期の円盤式レコードは、ゴムやエボナイトなどが原料といわれているが、やがてカーボンや酸化アルミニウム、硫酸バリウムなどの粉末をシェラック(カイガラムシの分泌する天然樹脂)で固めた混合物がレコードの主原料となり、シェラック盤と呼ばれた。しかしこの混合物はもろい材質で、そのためSPレコードは摩耗しやすく割れやすかった。落とすと瓦のように割れやすいことから、俗に「瓦盤」と呼ばれたほどである。 併用する再生装置のサウンドボックスの重量も相当あり、レコードを摩滅より守るため針の交換に重点が置かれ、レコード一面再生のたびに鋼鉄針を交換する必要があった。音量はサウンドボックスのサイズ、および針のサイズで調節され、大音量確保には盤の摩耗が避けられなかった。レコード盤の磨滅防止と針の経済性を配慮し、鉄針以外の材質を針に使用する実用例も生じた。柱サボテンのトゲを加工した「ソーン針」(thorn needle) が欧米などで流通し、日本では材質の軟らかい竹を使った「竹針」が広く用いられた(この種の植物性針は、いずれも蓄音機メーカーが供給していた)。植物性の針は絶対的な音量が鋼鉄針に劣るが、刃物で先端を削って尖らせることである程度再利用でき、レコード盤も傷めにくく、繊細な音質が珍重されもした。 これらの蓄音機の問題は、1920年代以降、電気式ピックアップと増幅機構を備えた電気式蓄音機の実用化である程度改善されたものの、第二次世界大戦後におけるピックアップ部分の大幅進歩までは引き続き蓄音機のハンデキャップだった。 また、収録時間が直径10インチ (25cm) で3分、12インチ (30cm) で5分と、サイズの割には短かったために、作品の規模の大きいクラシック音楽などでは、1曲でも多くの枚数が必要となり、レコード再生の途中で幾度となくレコードを取り替えねばならなかった。 特にオペラなどの全曲集では、数十枚組にもなるものまであり、大きな組み物はほとんどの場合、文字通りのハードカバーで分厚い写真アルバム状ケースに収納され販売していた。今でも3曲以上収録されたディスクやデジタル媒体のことを「アルバム」と呼ぶことがあるのはこれに由来している(普通は1枚の表裏で2曲まで)。また、SPレコードはすべての盤がモノラルであった。 また、ポピュラー曲に関しては、面ごとに違う演奏家によるレコードを複数枚集めたアルバムが作られる場合もあり、これを乗合馬車(ラテン語でomnibus)に見立てて、「オムニバス」と呼ぶようになった。現在「コンピレーション・アルバム」と言われるものがかつては「オムニバス・アルバム」と言われたのはこれが由来である。 長時間再生策として、放送録音用としては通常より径の大きなディスクが用いられることもあったが、これは大きすぎて扱いにくく、業務用としての使用に留まった。また溝を細く詰めることや回転数を落とすことで録音時間を伸ばす試みもあったが、シェラックの荒い粒子状素材のレコード盤材質でそのような特殊措置を採ると、再生による針の摩滅劣化や音溝破損が起きやすいために実用的ではなかった。高忠実度再生には荒い粒子の集合体であるSPレコードは不向きで、長時間の高忠実度記録再生は材質に塩化ビニールを用いるLPレコードが実用化されるまで待たなければならなかった。 第二次世界大戦時の日本において金属供出による代用陶器にレコード針も含まれており、陶磁器製のレコード針も流通した[要出典]。
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