内部の不和とLTTEとの対立とは? わかりやすく解説

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内部の不和とLTTEとの対立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 02:11 UTC 版)

タミル・イーラム解放機構」の記事における「内部の不和とLTTEとの対立」の解説

一方で指導者としてのスリ・サバラトナムはプラバカランのようなカリスマ性欠けLTTE持ってたようなヴィジョンをTELOに占めすことができなかった。TELOは急速に成長したにも関わらずLTTEのような強力なイデオロギー浸透していなかったことから、結果として幹部多くはただの暴れん坊または無法者と見なされがちであったまた、スリ・サバラトナムはインド関与支援大きく依存しており、LTTEのように高度な近代兵器入手していなかったので、その活動効果失いつつあった。このような状況に、多くのTELOメンバーがスリ・サバラトナムのリーダーシップに不満を抱き不和募らせていった1985年までにTELOの内部数多く派閥生まれ1986年4月には派閥指導者1人であるダス殺害まで派閥対立先鋭化した。これにより組織分裂し数十人のメンバーがTELOを去っていった。 この間LTTEとの相違大きくなっていた。 LTTEは、TELOの親インド立場に不満を持っていたほか、TELOがLTTEほど活発でも成功収めてもいないにもかかわらずスリランカに住むタミル人からの寄付分配において最大シェア持っていることに怒っていた。また、LTTE指導者プラバカランは、インドがTELOを利用して自分殺害しようとすることを恐れていた。 この対立は、1985年9月ジャフナ2人著名タミル人政治家、M・アララサンダラムとV・ダルマリンガムが暗殺されたことで遂に顕在化した。TELOとLTTE互いにこの暗殺相手方よるものだとして非難合戦となったLTTE1986年2月にENLFから脱退し同年4月29日にはTELOに対す全面攻撃開始したジャフナ各所にあったTELOの根拠地迫撃砲による砲撃受けたまた、TELO幹部は、武装してようがいまいがおかまいなしライフル射殺された。目撃者によればLTTE攻撃には一切容赦はなかったとされ、降伏した者も武器置いたとたんに射殺され逃げようとした者は走り出したところを射殺された。また、LTTE民間人逃亡者保護しないよう警告して回った幹部のうち生き残ったのは、EPRLFEROSなど他の武装集団逃げ込むことができたごく一部の者だけであった5月5日には、TELOのリーダーであったスリ・サバラトナムがLTTEのサタシヴァム・クシリュナクマー(通称キトゥ)に射殺された。400人以上の構成員殺害され、TELOは事実上消滅した当時LTTEは、インドイーラム闘争を自らに都合よく利用するためにTELOに潜入していた、と主張してその行動正当化したが、1990年虐殺指揮主導したキトゥはリーダー暗殺正当化されてもTELOの幹部らを殺害したのは誤りであった認めたスリランカ内戦受けてインド平和維持軍(IPKF)が派遣されたが、その際何度かTELOを過激派組織として復活させ、LTTEへの報復行わせることが試みられた。インド陸軍は元TELO構成員武器与えるなどして支援し、IPKFに反抗するLTTE封じ込めるために利用した。しかし、TELOはLTTEから絶え間ない攻撃受けて大きな犠牲者出し1987年9月1回攻撃だけで70人もの犠牲者出した。IPKFが撤退する再興組織はほぼ無力となり、構成員のほとんどは報復恐れてLTTE降伏した以後、TELOは実体のある過激派組織として復活することはなかった。

※この「内部の不和とLTTEとの対立」の解説は、「タミル・イーラム解放機構」の解説の一部です。
「内部の不和とLTTEとの対立」を含む「タミル・イーラム解放機構」の記事については、「タミル・イーラム解放機構」の概要を参照ください。

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