殺害まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/29 05:14 UTC 版)
「岐阜高校教師教え子殺人事件」の記事における「殺害まで」の解説
1986年10月11日夜、Kは自宅近くでSを車に乗せ、「妻に見られたら困る」と騙して事前に購入した木箱(縦1m、横56cm、高さ70cm)に入れ、隠しておいた金槌で背後から頭などを数回殴打、さらに紐で首を絞めようとしたが抵抗されたため、箱に押し込めて施錠する。その後、勤務先の学校の美術室まで木箱を運んで蓋を開けたところ、Sはまだ意識があり、「何でも聞くから、命は助けて」と哀願するSに、Kは非情にも睡眠薬を飲ませ、両手首をビニール紐で縛ったうえ、タオルやクッション等を押し込み窒息死させた。 Kはそれから3日間、木箱を美術室に置いたまま平然と授業を続けるが、やがて死臭が気になったため、もう一人の愛人であるHを誘って手伝わせ、木箱を羽島市内の中古車販売店まで運び、Sの遺体を木箱から出してガソリンをかけて火をつけた。
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