公正発展党と「民主化」
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「レジェップ・タイイップ・エルドアン」の記事における「公正発展党と「民主化」」の解説
エルドアンは2003年3月9日、軍部の政治介入を止めさせてトルコを「先進的な民主国家」にするという公約を掲げ、圧倒的支持を得てスィイルト県の補欠選挙で当選。それに伴い、公正発展党副党首で首相のアブドゥラー・ギュルから首相職を譲り受け、2003年3月16日首相に就任(ギュルは外相として第1次内閣に残った)。就任当初は公約どおり改革に取り組み、ヨーロッパ諸国もそれを歓迎した。 2007年の総選挙にも勝利し、第2次内閣を組閣した。 2007年に爆弾テロ未遂事件が起きる。捜査当局はこの事件を、超愛国的な将校たちから成る地下組織「エルゲネコン」がクーデターを計画したものと断定し、大々的な摘発に乗り出した。ジャーナリスト100人以上に加え、約250人の軍関係者が投獄された。エルドアンはエルゲネコンの訴追を支持し、報道の弾圧に対する国際社会からの批判を「単なる中傷」だとはねつけている。後にこの事件がきっかけでトルコの民主化が後退したみなされるようになった。 2期目の終わりには国外でのエルドアンの評価は頂点を極める。好調な経済に加え、中東諸国(イスラエルを除く)やその他の地域とも良好な外交関係を保ち、軍の介入を排して政局を安定させたからである。そのため、「サラディン(クルド人)が1187年に十字軍からエルサレムを奪還して以来、アラブ人が最も尊敬する非アラブ人指導者」「新たなオスマン帝国を築けると考えたとしても許される」「(AKPは)キリスト教民主主義者のイスラム版」とまで評された。こうしたエルドアンの姿勢は新オスマン主義と呼ばれた。 2011年の総選挙にも勝利して第3次内閣を組閣した。しかし、この頃から政権に批判的なジャーナリスト、政治家、企業に対して圧力が強まっているとして、国際社会におけるエルドアンの評価は下がり始め、2013年の反政府運動では国内からも矛先を向けられる。 エルドアンはツイッターについて、2014年3月20日に「裁判所の命令もある。ツイッターを根絶やしにする」「国際社会はいろいろと言うだろうが全く気にしない」などと述べ、ツイッターへのアクセスを遮断する姿勢を示した。過去にもエルドアンはフェイスブックやYouTubeへのアクセスを遮断する姿勢を見せたことがある。こうしたネット規制に積極的な背景には、政権の元閣僚による汚職事件の捜査に関する情報がネット上に流れており、統一地方選を控えて火消しに躍起になっているということがある。 次いで新法を成立させ、政府がウェブサイトの遮断や個人のインターネット閲覧記録収集をすることを認め、実際にYouTubeを遮断した。
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