公正発展党の躍進
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福祉党政権の後を受けて政権についた、民主左派党、民族主義者行動党、祖国党の連立政権は、金融危機に端を発した2000年末の大規模な経済危機に対処できず、国民の支持を失っていった。2002年の総選挙では、これら連立与党は最低得票率の10%を上回る票を確保できず、軒並み院外政党に転落した。これに対して、旧美徳党の改革派議員が結成した公正発展党は、「保守民主」(Muhafazakar Demokrat)を標榜し、中道路線にシフトすることで、保守票を幅広く集めることに成功した。公正発展党は、単独過半数の議席を獲得して圧勝したほか、左派票を民主左派党から奪った共和人民党も第二党として復権した。 2007年には、大統領選挙に公正発展党のギュルが立候補したことをめぐり、公正発展党と、世俗主義の擁護を唱える軍部、共和人民党が対立したため、7月に解散総選挙が実施された。公正発展党は再び単独過半数を維持した一方、共和人民党、民族主義者行動党以外の政党は議席を獲得できなかった。2007年の総選挙では、無所属として立候補したクルド系の民主社会党(Demokratik Toplum Partisi)候補が20議席を獲得し、クルド系政党として初めて議会内に一定勢力を確保した。
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