作成の背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/03 07:09 UTC 版)
「中小都市における公共図書館の運営」の記事における「作成の背景」の解説
『中小レポート』が作成された背景に、1950年代の国内図書館界の低調な実態があった。1958年(昭和33年)度の図書館を設置している1自治体あたりの年間受け入れ冊数は1,529冊、年間図書費は51万円にとどまり、新刊書に乏しい図書館は市民の関心を得られる存在ではなかった。 また、1950年(昭和25年)公布の図書館法の理念とは裏腹に、1950年代は未だ県立図書館を中心とした戦前的な図書館理念に支配されていた。図書館法の理念が実質を伴わない中で、図書館を国の支援により振興させるべく、日本図書館協会内においても図書館の義務設置、国庫補助の充実、国立国会図書館を頂点とした階層的な図書館制度の確立を柱とする図書館法改正運動が起こった。 一方でこれに対抗し、住民の支持と新しい理念により図書館を振興させようとする若手図書館員の勢力により、図書館法改正反対運動も展開されていた。図書館法改正草案を強く批判し、反対運動をリードした渡辺進が館長を務めた高知市民図書館では、移動図書館を通じて市民への図書館サービスを普及させ、図書館法の理念の実践に努めた。 また、1955年(昭和30年)に若手図書館員を中心として結成された図書館問題研究会(図問研)は、図書館法改正反対運動、文部省選定図書制度反対運動を展開するとともに、後に『中小レポート』作成に携わる人物を多く輩出した。ただし、『中小レポート』作成当時は図問研の活動が停滞状況にあり、図問研が会として組織的に『中小レポート』作成に携わったわけではない。 当時日本図書館協会の事務局長であった有山崧(ありやま たかし)は、高知市民図書館の活動に関心を寄せ、日本の社会にあった図書館像と、「地域社会の民衆と直結した」サービスのあり方を模索していた。 有山は、図書館政策の前提となるナショナル・プランの確立を企図し、1960年(昭和35年)に20 - 30歳代を中心とした一般調査委員を選定して中小公共図書館運営基準委員会を設置し、同委員会により1962年(昭和37年)までの2年間にわたり、活動が盛んな全国各地の12図書館を抽出して、その実態調査を行ったのである。 選定された一般調査委員は、石井敦(神奈川県立川崎図書館)、黒田一之(東京都立日比谷図書館)、清水正三(中央区立京橋図書館)、宮崎俊作(江東区立城東図書館)、森崎震二(国立国会図書館)、森博(大田区立洗足池図書館)、吉川清(船橋市立図書館)の7名。1961年度に森、宮崎に代わり鈴木四郎(埼玉県立図書館)、小井沢正雄(江東区立深川図書館)が入った。また日本図書館協会事務局からは、前川恒雄が基準委員会の事務局を担当した。委員の選定はほぼ有山が行ったと推測されている。
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