作品中の政岡とは? わかりやすく解説

作品中の政岡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/03 06:21 UTC 版)

政岡」の記事における「作品中の政岡」の解説

伊達騒動題材とする作品中でもっとも有名な伽羅先代萩』(めいぼくせんだいはぎ)は、奈河亀輔の作、安永6年1777年4月大坂上演された。ここから派生した今日伝わる浄瑠璃定本は、天明5年1785年正月江戸で上演された。さらにこの一部をとり、別系統作品組み合わせて現在の歌舞伎伽羅先代萩完成した最初先代萩鎌倉時代にも陸奥国治め続けたという設定奥州藤原氏後の先室町時代細川勝元山名宗全対立舞台に、お家乗っ取りたくらむ家臣と、主君守ろうとする忠臣たちの暗闘を描く。伊達騒動扱った作品この前にもあるが、そちらは主に高尾太夫吊るし斬りを中心にしたもので、幼君をめぐる陰謀劇を初めとりあげたのは『伽羅先代萩』である。その中の非常に重要な見せ場が、政岡その子千松阻止する毒殺未遂事件である。 その筋書きは以下のようになる政岡の局は脇谷帯刀伊達安芸)の妹、幼君鶴喜代丸(亀千代)の乳母で、実子千松とともに主君育てていた。食事に毒を盛られることを恐れた政岡は、主君の前で手ずから調理して鶴喜丸に食べさせていた。そこに訪れた八汐が毒入り菓子贈り物として差し出した毒見役千松はその菓子一つ食べ残り蹴飛ばした苦しみ出した千松を、八汐は千松無礼とがめると言って懐中の刀で殺し毒害証拠なくした政岡心中苦しみ押し隠し、わが子を助けようともせず、幼い主君のそばについて守り通した人名作品により異なり政岡浅岡月岡浅香など様々に書かれる主君の子のためにわが子を殺す話は平安時代からいくつか類話があり、義理人情板ばさみは、江戸時代文学・演劇主要テーマである。政岡人気高かったのは江戸時代中期から20世紀半ばまで、忠義徳目として重んじられ時代にあたり政岡は「烈婦」「節婦」などとと賞賛された。戦後水戸黄門のような他作品でも政岡脇役として配することがあった。 明治時代まで、歌舞伎の有名登場人物は、庶民層まで含んだ日本人が皆心得ている文化的教養常識属しており、政岡忠義女性類型典型として知られていた。だが20世紀後半になるとわが子を犠牲にするような忠義人々理想とされなくなり政岡知らない人も多くなった。

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