伝統的批評と新批評
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 07:41 UTC 版)
近代以前の古典主義的批評が、理性と宿命を基盤とした普遍性への指向を顕著に示したのに対して、ロマン主義以降の批評は感性の優位を主張し、人間ひとりひとりの個性・特殊性を重視した。そのため、文学作品そのものよりも、その背後の作者の存在に興味がもたれるようになった。作品そのものに生命があるのではなく、作品に生命を与えているのはその作者である人間にほかならぬという発想である。サント・ブーブは「この木にしてこの果実あり」といい、作家と作品を密接不可分のものとして、作家の実生活をもって作品を解明しようとした。彼の用いた実証主義的手法は科学的批評としてテーヌ、ルナン[要曖昧さ回避]、ブランデス、ランソンらに受け継がれる一方で、審美的側面は鑑賞批評としてアーノルド、ペイター、アナトール・フランス、小林秀雄らに受け継がれた。そしてさらに前者から、後にプロレタリア文学の擁護・育成につながってゆくマルクス主義的・文芸社会学的批評、フロイト、ユングらの精神分析学的批評、クローチェらの理想主義的・歴史的批評などが生まれ、ひいては文学史研究、文芸学の誕生をも促すこととなった。また作家の内面への参入は、アラン[要曖昧さ回避]、チボーデ、バシュラール、プーレ、そして人間存在の内奥に「実存」をみたサルトルらに至る。 20世紀初頭のバレリー、プルースト、T・S・エリオットらはサント・ブーブの伝記的批評に反対して、彼とは逆に作品を作家から切り離し、文学作品は完全に自律的な全体であり、在外的ないかなる要素とも無縁であるとする立場をとった。こうした考え方が1930年代以降のアメリカにおける「新批評(ニュー・クリティシズム)」に発展し、古典主義的批評、ロマン主義的批評に続く、象徴主義的批評とでも称すべき批評史上の第三波形成の契機となった。この批評は客観的な方法によるイメージの分析とそれを概念化するための独自の批評用語の開発をその特色としたが、ヤーコブソンらプラハ学派のフォルマリズム批評、ロラン・バルトらによるフランス派構造主義批評などに取って代わられた。これらの「新批評」の特徴は、いずれも作家の意志を考慮せずに、文学作品の無意識的・潜在的言語特性や作品構造を明らかにすることにあり、多く哲学、精神分析学、文化人類学、民俗学、言語学、意味論、文体論、記号論などの諸学を援用、一般にきわめて難解で、文芸批評というよりは文芸学・詩学的色彩が濃い。
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