伝統的文化地理学に対する批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 08:27 UTC 版)
「文化地理学」の記事における「伝統的文化地理学に対する批判」の解説
人文地理学は、1960年代に数理モデルと実証研究に基づく研究を志向する計量革命を経験した。1970年代にはこうした動きに反発する研究者が、マルクス主義理論を用いて不均等発展、階級対立、資本主義システムの構造的矛盾などについて論じるラディカル地理学を提唱する。こうした流れの中でも文化地理学はサウアー主義の伝統を受け継ぎ、傍流ながら命脈を保った。文化地理学は、文化生態学(英語版)や政治生態学(英語版)といった学際的な分野の発展に寄与したが、1970年代までには難解で非本質的な専門分野とみなされるようになった。 バークレー学派の文化地理学は、大きく分けてふたつの批判を受けることになる。ひとつは時代状況の変化にともなう効用の限界についてである。同質性の高い集団が一定の空間的領域に存在し、その文化を空間に刻印するというサウアーの考え方は、都市居住者が増え、人口や経済活動が流動的になるにつれて、しだいに成り立たないものとなった。J・B・ジャクソン(英語版)はバークレー学派の景観研究が「変化しない」ことを前提とする風景を意図的に選択しており、土地に根付いた風景が、特定の時間・特定の空間に現れるものとする観点を欠いているという理由から「反歴史的」と批判した。 伝統的文化地理学に対するもうひとつの批判は、その文化概念に対するものである。同学派の文化概念はクローバーの文化超有機体説に依拠していたが、これに対する重要な批判としてジェームズ・ダンカン(James Duncan)によるものがある。ダンカンは1980年に「アメリカ文化地理学における超有機的存在(英: The super organic in American cultural geography)」を発表する。彼は、文化超有機体説に依拠する従来の文化地理学において、実際には個々の人間によって営まれる様々な地表面の出来事が、文化という自律的な「物」があたかも支配的に作り上げられているかのように描写されることを指摘し、これを「文化の物象化」と称した。また、超有機体説からは文化の物質的な特性を分布図として表す静態的な地理学しか導くことができず、個人による営みをダイナミックに捉えることはできないと論じた。ダンカンは文化超有機体説を廃し、人間同士の相互作用や社会的文脈がそのつど形づくるものとして、景観の再定義を試みた。
※この「伝統的文化地理学に対する批判」の解説は、「文化地理学」の解説の一部です。
「伝統的文化地理学に対する批判」を含む「文化地理学」の記事については、「文化地理学」の概要を参照ください。
- 伝統的文化地理学に対する批判のページへのリンク