企画から製作までの経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 09:17 UTC 版)
「ゴジラvsデストロイア」の記事における「企画から製作までの経緯」の解説
以前より製作が発表されながらも延期となっていたハリウッド版『GODZILLA』が1997年に公開される見通しが立ったことから、平成ゴジラシリーズ最終作として製作された。 当初の仮タイトルは『ゴジラ死す』で、特技監督の川北紘一はそれまでの『ゴジラVS○○』という命名法から脱却し、この作品をシリーズ最終作とする意気込みを体現するつもりであった。その後、特報では『ゴジラ7』の仮タイトルで発表され、最終的に現在の題名となる。 監督の大森による本作品のプロットの初期案『ゴジラVSゴジラ』は、初代ゴジラの生体エネルギーが幽霊のような「ゴーストゴジラ」として出現。ゴジラと戦い、ゴジラは倒されるが、ゴーストゴジラはジュニアによって倒される、というものだった。実体のない怪獣という面白い見せ方も考えられた。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}元々ゴジラのバリエーションが割と成功していたために企画されたが[要出典]、前作のスペースゴジラと前々作のメカゴジラとゴジラを冠する怪獣が続いていたうえ、実体のないものに感情移入はしにくいのではないかということで[要出典]不採用となっている。この脚本を持ってきたのは、川北曰くプロデューサーの富山省吾だったらしい。[要出典] ゴジラのメルトダウンと、デストロイアに相当する新怪獣「バルバロイ」が登場する企画は、川北組助監督の岡秀樹が手掛けたものである。川北側ではゴーストゴジラ案が没案となったことを受け、それなら「ゴジラを死なせる」ことを考え、唯一ゴジラを葬り去った兵器「オキシジェン・デストロイヤー」でも死ななかった最強の生物・デストロイアと戦わせるというプロットが生まれたという。プロデューサーの田中友幸はゴジラを死なせることに反対したが、また復活することを前提に「ゴジラ死す」という企画が認められたとのこと。このため、公開当時のパンフレット冒頭にある田中の挨拶文には「またゴジラは必ずスクリーンに帰ってきます」との言葉が記されている。このインタビュー記事で川北は、『ゴジラvsスペースゴジラ』でゴジラを死なせた方がいいと考えていたことも明かしている。 ゴーストゴジラ案だったころには、ゲスト怪獣としてアンギラスの登場が検討されており、デザイン画も描かれていた。また、デストロイアがバルバロイと呼ばれていたころには、その一形態としてアンギラス型の怪獣の登場も検討されていた。 このほか、『vsバルバロイ』ではスーパーXIIIはGフォース所属で轟天号の名を冠しており、麻生司令が乗り込んで出撃するという展開であった。さらに人類の最終兵器としてネオ・オキシジェン・デストロイヤーが登場している。 『ゴジラvsビオランテ』から『ゴジラvsモスラ』まで監督や脚本に参加していたがそれ以降はシリーズに関わらなかった大森一樹は、ゴジラで描けることがある限りは参加すると表明しており、今回は川北と監督の大河原孝夫に口説かれ、ゴジラの死を描くことに賛同して再参加を決めた。プロットのやり取りは、大森が海外に滞在中でもFAXによって続けられた。大森は執筆中に阪神・淡路大震災に被災した経験から、火災鎮火のために冷凍レーザーを考案したという。 震災により大きな被害が出ていたことから、都市を破壊する映画である本作品の製作中止も危ぶまれたが、富山は正月映画としてゴジラを提供し観客に楽しんでもらうことがプラスになると考え製作に踏み切ったと述べている。
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