企画から発売まで
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『ヨッシーのクッキー』や『テトリスフラッシュ』などを企画制作した任天堂開発第一部がインテリジェントシステムズとともに新たなスーパーファミコン用パズルゲームとして企画し、インテリジェントシステムズの開発チーム「チーム・バトルクラッシュ」と共同制作した。このチーム名は開発スタッフの重複した『スペースバズーカ』の英題から取られた。プロデューサーは横井軍平、ディレクターは山本雅央、山上仁志、村松敏孝、メインプログラムは山本晋也、音楽は葛目将也。企画段階において横井が15パズルを原型としたパズルゲームを提案し、15パズルの存在を知らなかった山上がパネルを入れ替えて運ぶ、せり上がるパネルが並ぶと消えるなどの基本ルールを発案した。村松はグラフィックを中心にゲーム全般のデザインを手がけた。後の移植作品のスタッフロールにおいて山上と村松は原案者としてクレジットされた。 完成後は他の任天堂作品との発売スケジュールの兼ね合いから1995年10月に急遽発売されたが、売り上げは関係者の期待を下回った。後に開発スタッフは年末商戦前に十分な広報活動ができないまま発売されたこと、当時次世代ゲーム機と呼ばれたセガサターンやプレイステーション、さらにはスーパーファミコンの中でも次々発売された大作ソフトに埋もれたこと、面白く感じるまでに時間と練習が必要となるハードルの高さなどを販売不振の要因として挙げた。
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