企画から撮影まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 06:55 UTC 版)
「ゆきゆきて、神軍」の記事における「企画から撮影まで」の解説
1981年12月、原は今村昌平から奥崎の一冊の著書を見せられる。それは、『田中角栄を殺すために記す』というタイトルの自費出版本であった。原は奥崎に直接会いたいというと、今村は「電話をかけておくから、これを渡しなさい」と言いながら、「原一男君を紹介します」と書き添えた自分の名刺を渡した。数日後、原は妻であり、疾風プロダクションプロデューサーの小林佐智子とともに神戸に向かった。 原一男は1982年に奥崎謙三に初めて会い、そのエネルギーに圧倒され、この人のドキュメンタリーを作ってみたいと考え、製作がスタートした。原は奥崎の著書や資料を読み漁り、それに出て来る関係者に取材した。宮城県、新潟県、広島県など各地で調査で回っていくうち、"部下の処刑事件"が分かってきた。結果的にこのエピソードが映画のメインになったが、最初の段階ではこのエピソードは本編の3分の1ぐらいの予定だった。途中からこの"処刑事件"をメインでやろうと決めた。実際の事件は、戦争当時の話でもあり、証言も食い違い、真実はヤブの中になるだろうという予感はあったが、元兵士たちの過去の話、奥崎が未来へ向けてどう変わっていくか、自分たちと付き合うことによってどんな生き方に今後なるのか、リアルタイムのエピソードをドキュメンタリーで追う、という大まかなプランを立てた。カメラを回す前に原と奥崎は何度か打ち合わせをした。ドキュメンタリーのため、当然シナリオはないが、これを基にやっていこうというプロットは作成している。
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