代表産駒と子孫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/10 04:15 UTC 版)
サンドリッジの産駒を代表する馬が、前述の二冠馬サンスターである。サンスターは2歳時からエグゼクターステークスなどで勝ちを挙げ、翌年には2000ギニー・ダービーを勝つに至った。しかしダービー直前から腱を痛めており、これを押して出走したダービーの反動で故障が発生、これがもとで引退している。 サンスターは種牡馬としても大いに活躍し、その産駒には2000ギニーやセントジェームズパレスステークスなどに勝ったクレイグアンエラン(Craig An Eran 1918年生、牡馬)や、エクリプスステークス連覇などの勝鞍のあるバカン(Buchan 1916年生、牡馬)、パリ大賞勝ち馬のギャロッパーライト(Galloper Light 1916年生、牡馬)などがいる。 サンスターの子孫らもまた種牡馬・繁殖牝馬として成功し、とくにバカンは1927年のイギリスリーディングサイアーになっている。イギリス国外でも産駒は活躍し、アメリカ合衆国ではノーススター(North Star 1914年生、牡馬)がケンタッキーダービー馬バブリングオーバー(Bubbling Over 1923年生、牡馬)などを出している。バカン産駒のシアンモアは日本に輸出され、フレーモアなどの産駒の活躍により1934年に日本のリーディングサイアーに輝いている。 ほかのサンドリッジの産駒らもまた、競走馬として、また種牡馬・繁殖牝馬として非凡であった。以下はその代表的なものである。 ジェスト ジェスト(Jest 1910年生、牝馬)は1913年の1000ギニーステークス・オークスを制した二冠牝馬で、それ以外にもブレットバイステークスなど8戦4勝を挙げている。 ジェストは繁殖牝馬としては勝ち上がり産駒を1頭しか出せず、繁殖牝馬として有能であった姉妹たちと比べて低く見られた。しかしその唯一の勝ち上がり馬が、のちにダービーを制するユーモリストであった。また未出走で終わったザテトラーク産駒のチーフルーラー(Chief Ruler 1920年生、牡馬)はニュージーランドで種牡馬となり、ここで現地の1932/1933年シーズンのリーディングサイアーに輝いている。 1921年の秋ごろに死亡した。奇しくもユーモリストがダービー制覇後に急死した、その数か月後であった。 サンブライア サンブライア(Sun Brair 1915年生、牡馬)はフランスのオーナーブリーダーであったマルセル・ブサックが生産した馬の一頭で、ウィリアム・シャープ・キルマーに購入されて渡米、アメリカで競走生活を送った馬であった。おもな勝ち鞍にサラトガスペシャルやホープフルステークスといった2歳戦の競走が多数ある。 購入当初より関係者らに大きく期待をかけられ、ケンタッキーダービーの制覇も期待されて、その方向で調整が行われていた。しかし同馬の併せ馬用に用意されていたエクスターミネーターのほうが動きがよく、急遽サンブライアを休養にあてたところ、代役で出したはずのエクスターミネーターが優勝、その後も活躍を繰り広げ、逆にサンブライアがエクスターミネーターの引き立て役になってしまった。ただしサンブライア自身もそれで終わらず、その後トラヴァーズステークスやデラウェアハンデキャップといった大競走で勝ちを挙げている。 引退後はキルマーの牧場で種牡馬となり、賞金王となったサンボウを始めとするよい産駒に恵まれた。しかし産駒らは種牡馬としては成功せず、父系は続かなかった。 サンリー サンリー(Sunreigh 1919年生、牡馬)はサンブライアの全弟にあたるフランス産馬で、サンブライアの近親に興味を持ったキルマーが、母スウィートブライアと併せて購入した馬であった。しかし、サンリーは競走において勝ちを挙げることができず、早々と引退して種牡馬となった。 種牡馬としても結果を出す前に急死し、わずか14頭の産駒しか残さなかった。しかしそのうちの一頭がケンタッキーダービー馬リーカウントで、そのリーカウントから史上6頭目となるアメリカ三冠馬カウントフリートが出ている。 レディジョセフィーン レディジョセフィーン(Lady Josephine 1912年生、牝馬)はアイルランド産の牝馬。ドンカスターのイヤリングセールで1700ギニーで売られ、イギリスで競走生活を送った馬であった。競走馬としては2歳時に強さを見せ、コヴェントリーステークスなどステークス競走4勝を挙げた。一方、3歳に入ってからは入着もなく、1戦のみであった。 その後ニューマーケットのジュライセールで1200ギニーで売却され、繋養先のスレッドメアスタッドで、1932年に没するまでに7頭の産駒を産んだ。このうち4頭の産駒が勝ち上がりを決めたが、特筆すべきはムムタズマハルとレディジュラー(Lady Juror 1919年生、牝馬)の牝馬2頭で、前者は2歳戦で無類の強さを誇り、後者もジョッキークラブステークスなどで優勝し、サンドリッジが1923年のリーディングブルードメアサイアーに選出される一因となった。 その2頭は繁殖牝馬としても非常に優れ、ムムタズマハルはサセックスステークス勝ち馬バドルディン(Badruddin 1931年生、牡馬)など、レディジュラーはフェアトライアルなどを出している。また、牝系としてもともに発展しており、ナスルーラやロイヤルチャージャー、テューダーミンストレルといった多くの名馬を輩出している。 サンドリッジの父系の影響力は大きく、その後もしばらく全世界に存在したが、時代の経過により衰退し、現在では大舞台でその子孫を見ることはできなくなっている。一方で前述のレディジョセフィーンを通した牝系は現在も残っており、その牝系を通してサンドリッジの血統は現代に遺されている。
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