他国での使用
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F4Uは第2次世界大戦当時イギリス海軍にも供与され、本格的な運用は1944年から終戦までと期間的には短かったものの、アメリカ海軍よりも先の1943年の時点で空母イラストリアスで運用を行った。イギリス海軍では左旋回しつつ着艦寸前まで視界を確保しながらのアプローチを行い、アメリカ海軍で問題とされた視界不良を緩和できた。F4U-1はコルセア Mk.I、F4U-1AとF4U-1Dはコルセア Mk.IIと命名され、F3A-1はコルセアIII、FG-1とFG-1Dは、コルセアIVと命名された。IIからIVでは天井の低いイギリス空母格納庫への収容のため、主翼の翼端が切り落とされていた。アメリカで製造されたコルセアはクォンセット・ポイントなどから護衛空母でイギリスへと運ばれた。戦艦ティルピッツを攻撃するタングステン作戦では、爆撃部隊の護衛としてその役割を果たした。大戦末期にはイギリス太平洋艦隊へ編入された空母に同行し、日本近海でも作戦に従事した。 また戦後はアメリカの同盟国に供給され、ラテンアメリカ諸国では長らく現役の座にあった。 フランス軍所属のAU-1は、1954年ディエンビエンフーの戦いに参加し、7週間1,442回の出撃をし、7週間、爆弾投下1,567トン、ロケット発射850発、機銃掃射130,000を記録した。以後、フランス海軍はスエズ、アルジェリアなどでもF4U-7を使用した。1969年のサッカー戦争においても使用され、レシプロ戦闘機同士の最後の空中戦を行った。同年7月17日、ホンジュラスとエルサルバドル国境付近で起きた2度の空中戦において、ホンジュラス空軍のフェルナンド・ソト・エンリケス大尉が操縦するF4U-5が、エルサルバドル空軍のF-51D (米軍用機命名規則変更後でのP-51Dの制式名) 1機とFG-1D (グッドイヤー社製F4U-1Dの呼称) 2機を撃墜し、レシプロ戦闘機最後の空中戦での勝者となった。ソト大尉は「最後のコルセア・ライダー」として知られる存在である。
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他国での使用
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CB無線の制度は一般に国ごとに異なるため、ある国で取得したCB無線用無線機を他の国へ持ち込んで使用することはできないが、米国の「Citizens Band Radio Service」とカナダの「General Radio Service」のように同一の制度を採用し相互に使用を承認している国の間や、「CEPT PR 27」や「PMR 446」、「Digital PMR 446」のようにこれを導入したCEPT加盟国相互間では可能である。
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