井笠鉄道神辺線
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神辺線(かんなべせん)は、かつて岡山県井原市の井原駅と、広島県深安郡神辺町の神辺駅を結んでいた、井笠鉄道の鉄道路線である。
注釈
- ^ こちらは1914年7月21日に完成、営業運転を開始している。
- ^ 1922年4月14日受理。
- ^ 実際には両備軽便鉄道側の車両が井笠鉄道線へ直通する片乗り入れが基本であった。
- ^ なお、両備軽便鉄道→両備鉄道が直通運転開始後に新造した客車・気動車では、空車時の値ながら連結器中心高を533mm(1フィート9インチ)に引き上げている。
- ^ 1926年6月商号変更。
- ^ 神辺線に並行する改正鉄道敷設表別表第90号ノ2(岡山県総社附近ヨリ広島県神辺ニ至ル鉄道)が追加されたのは、太平洋戦争後の1953年で、この時点では含まれていなかった
- ^ 本社は両備鉄道時代と同様、福山市三之丸町に置いており、役員は両備鉄道の社長をはじめ一部の取締役がそのまま就任している。(「日本全国諸会社役員録. 第41回(昭和8年)」及び「日本全国諸会社役員録. 第42回(昭和9年)」)。
- ^ なお、この譲渡の認可は1933年8月26日付で得られている。
- ^ その過程で両備鉄道時代から引き続き在籍していた蒸気機関車はすべて売却されている。
- ^ 1931年12月、日本車輌製造本店製の2軸車。1932年1月竣工。全長8,136mm、定員36名、エンジンはフォードA。ただし、小型ながら井笠鉄道が多数導入していたような原始的な単端式ではなく、変速機と逆転機を搭載した本格的な設計の両運転台車である。このため、両備鉄道→神高鉄道時代を通じ、自社の気動車運用に際しては方向転換用の転車台が不要であった。なお、これらは戦後、定員40名として取り扱われた。
- ^ 1934年、日本車輌製造本店製。車体はレ1・2と同一だがエンジンがより強力なフォードV8に変更された。
- ^ 1925年10月、日本車輌製造本店製。両備軽便鉄道時代には同型車5両が在籍した。
- ^ 他に無蓋貨車と車掌室付きの有蓋貨車(書類上は客車扱い)が在籍した。
- ^ 1938年 - 1940年当時、監督局鉄道課長は後に日本国総理大臣となる佐藤栄作が務めていた。
- ^ そればかりか、ジ14 - ジ16は直通ブレーキさえ搭載されず、手でハンドルを回してブレーキをかける、手ブレーキのみ搭載という状態で廃車の日を迎えている。
- ^ 神辺方面への発着にのみ使用可能。
- ^ 神辺・井原両方面へ発着可能。2線の中央に機回り線が敷設されており、機関車の付け替えが容易に行える配線となっていた。
- ^ 戦時中は客車化されていたが、1949年に台車を新造しディーゼルエンジンを搭載して気動車として復活した。
出典
- ^ a b 「四月には二社で三路線廃止」『交通新聞』交通協力会、1967年3月30日、1面。
- ^ 『全国軽便鉄道』pp.128・138
- ^ 『鉄道ファン 70/7 Vol.10 110』p.37
- ^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1911年8月24日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b c d 『全国軽便鉄道』p.138
- ^ 「軽便鉄道免許一部失効」『官報』1918年2月18日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1918年7月16日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1922年4月20日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『全国軽便鉄道』p.128
- ^ a b c d e f g 『レイル No.30』p.36
- ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1923年4月25日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1925年2月26日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『日車の車輌史 図面集 戦前私鉄編 下』pp.175・176・229 - 231
- ^ 『日車の車輌史 図面集 戦前私鉄編 下』p.174
- ^ 『日車の車輌史 図面集 戦前私鉄編 下』pp.232 - 234
- ^ a b c d e f 『地方鉄道及軌道一覧. 昭和12年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『日本全国諸会社役員録. 第42回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道省告示第385号」『官報』1933年8月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b 『井笠鉄道』p.85
- ^ 『自転車に抜かれたコッペルたち』p.118
- ^ 1933年8月26日許可「鉄道譲渡許可」『官報』1933年8月29日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『世界の鉄道 '68』pp.174 - 175
- ^ a b c d e 『レイル No.30』p.43
- ^ a b 『鉄道ファン 70/7 Vol.10 110』p.28
- ^ 1939年12月26日許可「鉄道譲渡許可」『官報』1940年1月10日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b 『井笠鉄道』p.100
- ^ 『全国軽便鉄道』p.129
- ^ a b 『鉄道ファン 70/7 Vol.10 110』p.38
- ^ 『井笠鉄道』p.83
- ^ 『レイル No.30』p.48
- ^ 『井笠鉄道』p.118
- 1 井笠鉄道神辺線とは
- 2 井笠鉄道神辺線の概要
- 3 駅一覧
- 4 廃線跡
井笠鉄道高屋線
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両備軽便鉄道による高屋線の建設工事が進捗し、完成の目処が立った頃、同社と笠岡(笠岡町) - 井原間の鉄道建設を行っていた井笠鉄道の2社の間で、両社線を結ぶ高屋 - 井原間4.0kmの鉄道敷設免許が競願となった。 この区間の免許については、最終的に申請受付が1日早かったこと、井笠鉄道が当該区間を経営しても利益があるのに対し両備軽便鉄道が経営すると井笠鉄道には不利益が生じること、それに沿線集落の物流が笠岡と強く結びついていることなどを理由として井笠鉄道に交付され、両備軽便鉄道の申請は却下された。 かくして1923年4月20日に免許を得た井笠鉄道は、資金難から多少の工期の遅れはあったものの、1925年2月7日に井原 - 高屋間4.0kmの営業を開始した。 なお、小田川と経ヶ丸山に挟まれて南東から北西に向けて細長く伸びる井原の街の地形的な制約から、先行して市街の中心部に設置された井笠鉄道井原駅は南北方向の頭端式ホーム配置となっており、神辺線もここを起点として本線と併走後、これと分かれて西の神辺方面へ向かう線形としたため、神辺方面からやってきた神辺線の列車は井原に停車せず本線の笠岡方面へ向かうことはできなかった。また、乗客も貨物も神辺 - 笠岡間あるいは神辺 - 矢掛間を通しで輸送する需要は少なく、高屋線(両備軽便鉄道からの直通列車を含む)の列車はすべて井原折り返しとして同駅で本線列車との連絡を行い、本線への直通運転は実施されていない。
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