井笠鉄道客車第10号形気動車とは? わかりやすく解説

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井笠鉄道客車第10号形気動車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/16 02:10 UTC 版)

井笠鉄道客車第10号形気動車(いかさてつどうきゃくしゃだい10ごうがたきどうしゃ)は、井笠鉄道に在籍した気動車の1形式である。一般には戦後の形式称号であるホジ7形の名で知られている。


  1. ^ 他に1927年7月竣工のジ3形ジ3・5、それに1929年4月竣工のジ6形ジ6の3両が在籍。いずれも日本車輌製造本店製。
  2. ^ あるいは単端式気動車とも称する。フォード製自動車用駆動システム・機関を流用した簡易な構造の、片運転台式小型2軸気動車である。
  3. ^ 高頻度運転と併せ、井笠鉄道の駅の多くは有人駅であったことから、車掌省略、つまり現在のワンマン運転に相当する運行形態も導入された。この斬新な試みは、当時井笠と同様に台頭しつつあったバスとの競合に悩まされていた同業他社の注目を集め、これらの最新鋭気動車の視察・見学に全国から多数の地方私鉄幹部が井笠本社を訪れた。このため、井笠側では気動車導入のメリットがいかに大きいかを説いたガリ版刷りのパンフレットを独自に作成し、そういった来訪者に配布して対応したといい、実際にも紀州鉄道などの保存する文書綴りからそのパンフレットが発見されている。なお、井笠のこの気動車導入は、特にその後の瀬戸内地域に点在した各地方私鉄の気動車導入や、それに伴う車掌省略運転の実施、さらにはそれらを活用した高頻度運転の実施に多大な影響を及ぼす結果となった。
  4. ^ 当時の同社は、単端式と同じ自動車用エンジンを2基搭載し、そのラジエターを車端部に並べて搭載する機関・駆動システムを備えた2軸ボギー車や、車両の両端に単端式と同じ自動車用エンジン・駆動システムを2基搭載した双頭式と呼ばれる車両を製造していたが、実用性に著しく劣り、同時期の同業他社と比較して大きく出遅れていた。
  5. ^ もっとも本形式が発注された1931年には日車本店は試行期を脱し、18m級120人乗りの江若鉄道C4形気動車などの安定した性能を発揮する大型2軸ボギー気動車の開発に成功している。このため、井笠のこの判断はやや拙速に過ぎたとも見られる。
  6. ^ 同社の子会社である梅鉢自動車が日本フォード社の代理店であり、フォード製自動車用エンジンや変速機、それに補修用スペアパーツの調達で優位な立場にあった。その一方で同社は、鉄道用ガソリンカーにおいて前後方向に任意に走行可能な両運転台式を実現する上で最重要コンポーネントである逆転機を自社で独自に開発し搭載するなど、自動車用部品に拘泥せず適切な設計を行いうる技術力を保持していた。
  7. ^ 竣工は1931年11月27日。
  8. ^ 竣工はいずれも1932年4月18日。
  9. ^ a b c d e f g h i 『私鉄紀行 瀬戸の駅から(下)』p.40
  10. ^ ただし、西大寺キハ100形は窓配置1D(1)5(1)D1で側窓1枚分長く、定員も50人乗りとして設計されている。
  11. ^ ホジ8・ホジ9については戦後の再気動車化時に、ホジ7と共通化するための戸袋の移設とこれに伴う外板裾部の改修が実施されている。
  12. ^ 最急勾配は大井村前後の20‰であった。
  13. ^ 排気量3,285cc、水冷直列4気筒、公称出力50PS/2,800rpm。なお、フォードAAはフォードAのトラック用バリエーションモデルで、変速機以外は共通である。また、このエンジンの選択はメーカー側の推奨ではなく、井笠鉄道側からのオーダーに従ったものである。乗用車のフォードAが3段変速なのに対し、トラック用で大きい負荷を想定したAAは4段変速が標準で、パワー不足を補うには有利となる。
  14. ^ a b 『日本の内燃動車』p.35
  15. ^ 実際の工事は1949年10月に施工。
  16. ^ a b c d e f g 『私鉄紀行 瀬戸の駅から(下)』p.45・47・67
  17. ^ これらをそれぞれウィンドウシル(窓下)・ウィンドウヘッダー(窓上)と呼ぶ。
  18. ^ 当時の燃料事情では、ディーゼルであれガソリンであれ石油を燃料とする動力車は皆、余程の事情がない限り直接石油を使用する設計では認可が得られず、木炭ガスなどによる代燃車とする必要があった。それゆえ、形だけ代燃装置を搭載し、実際にはヤミ物資等で1950年以降比較的潤沢に供給されるようになりつつあった石油燃料を直接使用する例や、申請図面には認可を得るために代燃装置を記載するが、実際には一切搭載せずに製造する、といった例がこの時期には各社で多々見られた。もっとも、1949年は燃料事情が最悪の時期に当たり、本形式については少なくとも改造当初は代燃車として使用された可能性が高い。なお、近隣の下津井鉄道は連続急勾配を抱えて代燃車では充分な輸送力を確保できなかったこともあって、翌1950年に全線電化に踏み切っている。
  19. ^ 排気量5,100cc、水冷直列6気筒、出力90PS/2,600rpm。
  20. ^ 『私鉄紀行 瀬戸の駅から(下)』p.47
  21. ^ 手ブレーキのみの木造客貨車が路線廃止まで用いられたためもあってか、井笠鉄道ではブレーキ管の引き通しは最後まで実施されなかった。
  22. ^ 竣工図に掲載されたホジ7の公称値。直通ブレーキ搭載のホジ8・ホジ9はその分自重が増えて7.4tとなる。また、戦後のディーゼル化後は台車交換や機関の大型化もあって9.4tに増大しているが、機関出力が倍増しており、走行性能は飛躍的に向上した。
  23. ^ 全負荷時の最高速度が34km/hとされ、客貨車牽引は無理であった。
  24. ^ a b 『私鉄紀行 瀬戸の駅から(下)』p.42・68
  25. ^ もともと出力不足であったことから、更に出力の低下する代用燃料化改造は行われなかった。
  26. ^ 『私鉄紀行 瀬戸の駅から(下)』p.43
  27. ^ 車籍上の届け出が戦後まで遅れたのは、戦時中の燃料配給の割り当て増加を期待してのものであったと考えられ、他社でも同様の事例が少なからず存在する。
  28. ^ 支線廃止前の段階で、本線である笠岡-井原間の運用は朝夕のラッシュ時を含めてもホジ1形3両とホジ100形2両の合計5両(内1両は検査予備)で事足りていた。なお、ホジ8・9は最後まで矢掛支線の主力車として重用され、最終日にはさよなら列車に起用されている。
  29. ^ 全線廃止時のさよなら列車にはホジ7が起用され、1号機関車を先頭とする編成の末尾に連結された。


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