いずえ駅
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いずえ駅 | |
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駅入口(2022年2月)
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いずえ Izue |
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◄井原 (1.8 km)
(1.8 km) 子守唄の里高屋►
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所在地 | 岡山県井原市下出部町 |
所属事業者 | 井原鉄道 |
所属路線 | ■井原線 |
キロ程 | 32.3 km(総社起点) |
電報略号 | イエ |
駅構造 | 高架駅 |
ホーム | 1面1線 |
乗降人員 -統計年度- |
56人/日 -2018年- |
開業年月日 | 1999年(平成11年)1月11日[1] |
備考 | 無人駅[1] |
下出部駅 | |
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しもいずえ SHIMOIZUE |
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◄出部 (1.0 km)
(1.5 km) 高屋►
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所在地 | 岡山県井原市下出部町 |
所属事業者 | 井笠鉄道 |
所属路線 | 神辺線 |
キロ程 | 2.5 km(井原起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1925年(大正14年)2月7日 |
廃止年月日 | 1967年(昭和42年)4月1日 |
いずえ駅(いずええき)は、岡山県井原市下出部町にある、井原鉄道井原線の駅。
歴史
当駅の付近は、かつて井笠鉄道神辺線の下出部駅(しもいずええき)が存在していた[2]。
- 1925年(大正14年)2月7日:井笠鉄道高屋線の井原 - 高屋間開通に伴い、下出部駅が開業[3][4]。
- 1933年(昭和8年)9月1日:路線譲渡に伴い、神高鉄道の駅となる[5][6]。
- 1940年(昭和15年)1月1日:会社合併に伴い、井笠鉄道神辺線の駅となる[7][8][9]。
- 1967年(昭和42年)4月1日:神辺線の廃線に伴い、下出部駅が廃駅となる[10][11]。
- 1999年(平成11年)1月11日:井原鉄道井原線の開通に伴い、旧・下出部駅からやや東側の位置にいずえ駅が開設[1][2]。
駅構造
神辺方面に向かって左側に単式ホーム1面1線を有する高架駅(停留所)で、高架下に公衆トイレと駐輪場がある。無人駅で[1]、直接ホームに上がる形になっている。自動券売機等は設置されていない。駅名標下部には6kmほどの距離にある経ヶ丸グリーンパークのイラストが描かれている[1]。
井笠鉄道神辺線の下出部駅は、1面1線の地上駅であった。
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構内(2022年2月)
利用状況
1日乗降人員推移 [12] | |
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年度 | 1日平均人数 |
2018年 | 56 |
駅周辺
隣の駅
かつて存在した路線
- 井笠鉄道
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神辺線
- 出部駅 - 下出部駅 - 高屋駅
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e 「井原鉄道の旅立ち」『鉄道ジャーナル』第33巻第4号、鉄道ジャーナル社、1999年4月、70-74頁。
- ^ a b 『地形図でたどる鉄道史 西日本編』JTB、2000年、106-107頁。
- ^ 湯口 1992, p. 36.
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1925年2月26日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ いのうえ 1997, p. 85.
- ^ 牧野俊介『昔々の軽便のアルバム 自転車に抜かれたコッペルたち』エリエイ出版部プレス・アイゼンバーン、1980年4月、118頁。
- ^ 1939年12月26日許可「鉄道譲渡許可」『官報』1940年1月10日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 吉川文夫、岡藤良夫「消えゆく井笠鉄道の車両」『鉄道ファン』 10巻、7号、交友社、1970年7月、28頁。
- ^ 湯口 1992, p. 43.
- ^ 「四月には二社で三路線廃止」『交通新聞』交通協力会、1967年3月30日、1面。
- ^ いのうえ 1997, p. 100.
- ^ 国土数値情報(駅別乗降客数データ) - 国土交通省、2019年9月3日閲覧
- ^ 「井原の場外舟券売り場開業 岡山県内初、倉敷市長ら祝う」『山陽新聞』山陽新聞社、2013年12月14日。オリジナルの2013年12月15日時点におけるアーカイブ。
参考文献
- 湯口徹『レイル No.30 私鉄紀行 瀬戸の駅から 下』エリエイ出版部プレス・アイゼンバーン、1992年10月1日。ISBN 4871121801。
- いのうえ・こーいち『追憶の軽便鉄道 井笠鉄道』エリエイ出版部プレス・アイゼンバーン、1997年。
関連項目
外部リンク
- いずえ駅 - 井原鉄道
固有名詞の分類
- いずえ駅のページへのリンク