二番目のドル
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2005年10月、ジンバブエ準備銀行のギデオン・ゴノ総裁は、「ジンバブエは来年新通貨に移行する」と発表した。旧通貨は新しい紙幣と硬貨に置き換えられた。ゴノ総裁は、新通貨に新しい名前をつけなかった。2006年6月、新通貨発行にあたってデービッド・チャプリカ副蔵相はマクロ経済の安定化を成し遂げなければならないと述べた。 2006年8月1日、デノミネーションが行われ、ジンバブエ・ドルは3桁切り捨てられた。新ドルの補助通貨もセントで、1ドル=100セントである。デノミと共に、政府は米ドルに対して通貨を60 %切り下げ、交換レートを1米ドル = 101,000旧ジンバブエ・ドル(101新ドル)から250新ジンバブエ・ドルへと変更した。 ゴノによって"日の出作戦 (Operation Sunrise)" と名づけられた、通貨価値向上キャンペーン(一種の預金封鎖)は問題を抱えていたものの、2006年8月21日に完了した。この期間に、マネーサプライの22 %にあたる数十兆の旧ジンバブエ・ドルが、新通貨と交換されることなく紙屑と化した。 その他の問題として、 道路の封鎖や1日の預金限度額を超えて、銀行に預金をした人に対する取締を行っていた、警察や青年軍人の振る舞い。 通貨の押収のための、企業や家庭への家宅捜索。 新しい持参人払式小切手(期限付き紙幣)の不足。 多くの人や企業が、古い持参人払式小切手の受け取りを拒否したこと。 両替するための小額紙幣の慢性的不足。 急速に変更したため、特に遠方の町では情報伝達が遅れ、持参人払式小切手の交換が間に合わなかった。 殆どの経済学者は、この動きは政治的なものに過ぎないと激しく非難した。彼らは、準備銀行の劇的な方針転換なくしては、ハイパーインフレーションは収まらないと主張した。人々は、古い紙幣を使い切るためにパニックになり、証券を買い漁ったので、ジンバブエの証券取引所の株価指数は、世界中のどのマーケットよりも上昇した。具体的には、2006年6月から2007年6月で株価が39,000 %上昇した。これはジンバブエの物価上昇率よりも高い水準である。 2006年12月12日、ゴノは銀行やその他金融機関に対して、「日の出作戦2」という次の金融改革を2007年1月に発表するとメモで仄めかした。ただ、そのメモが1月から新しい通貨を発行するという銀行に対するアドバイスだったのかどうか、ゴノの事務所から直ちに確証を得ることはできなかった。しかし、ジンバブエ最大手の銀行の一つの最高経営責任者は、「産業界は来月新しい通貨が発行されるという意味だと解釈した。」と話した。また、新通貨の名前として、ショナ語で「土」という意味のあるivhuが挙がっていた。 2007年2月2日、第三のドルが近いうちに発行されるということと、新しい紙幣についての詳細がいくらか発表された。 同月、ジンバブエ準備銀行はインフレーションは「違法行為」だと宣言し、同年3月1日と7月30日に特定の必需品の値上げを一切禁止した。また、当局はいくつかの会社の経営者を「製品を値上げした」という理由で逮捕した。しかし経済学者は、そのような処置が長期的に問題解決をすることはありえないと批判した。 同年6月15日、経済学者のエディー・クロスが、「準備銀行は来週通貨をさらに3桁切捨て、1新ジンバブエ・ドル = 100万(導入当初の)旧ジンバブエ・ドルにするという話がある。商業や産業は混沌が支配し、それらを担当する部門は半狂乱状態である」と報告した。 2007年6月25日、アメリカの雑誌『フォーリン・ポリシー』に、北朝鮮の北朝鮮ウォン、ソマリアのソマリア・シリング、ベネズエラのボリバル、イラクのイラク・ディナールとともに、ジンバブエ・ドルが「世界で最も価値が低い通貨」に選定された。 同年9月6日、ジンバブエ・ドルは対米ドルで1,200 %切り下げられて、公式の為替レートは1米ドル=30,000ジンバブエ・ドルに変更された。しかし、闇市での為替レートはさらに低い1ドル = 600,000ジンバブエ・ドルと推定されていた。 2008年5月5日、ジンバブエは固定相場制から変動相場制に移行した。2008年5月16日当時で、1ドル=2億5600万ジンバブエ・ドルとなっていた。
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二番目のドル
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2006年8月1日、新通貨が登場して、1・5・10・50セント、1・10・20・50・100・1,000・10,000・100,000ドル紙幣(持参人払式小切手)が発行された。また、準備銀行の広告では見かけないが、5ドル紙幣も存在する。5,000ドル(2007年2月1日付)と50,000ドル(2007年3月1日付)の持参人払式小切手は2007年3月に発行された。200,000ドル(2007年8月1日付)は、2007年8月に発行された。さらに2007年12月20日には250,000ドル・500,000ドル・750,000ドル、2008年1月18日には1,000,000ドル・5,000,000ドル・10,000,000ドルが発行された。2008年4月4日、新たに25,000,000ドル・50,000,000ドル紙幣が発行された。さらに、2008年5月5日、100,000,000ドル・250,000,000ドル紙幣が発行され、同月15日には500,000,000ドル紙幣が発行された。なお、5月15日には持参人払式小切手とは別に、5,000,000,000・25,000,000,000・50,000,000,000ドルの特別アグロ小切手 (Special Agro Cheques) が発行された。同年7月19日には1000億ドルの特別アグロ小切手が発行された。
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